『ホワイト・ブラッド・セルズ』
ザ・ホワイト・ストライプス の スタジオ・アルバム
リリース2001年7月3日
2001年9月24日[1]
2002年6月19日[2]
録音2001年2月 テネシー州メンフィス Easley McCain Recording
ジャンルガレージロック、オルタナティヴ・ロック
時間46分41秒(日本盤)
レーベルシンパシー・フォー・ザ・レコード・インダストリー(オリジナル盤)
サード・マン・レコード
V2レコード(リイシュー)
XLレコーディングス
プロデュースジャック・ホワイト
専門評論家によるレビュー
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デ・ステイル
(2000年)ホワイト・ブラッド・セルズ
(2001年)エレファント
(2003年)
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『ホワイト・ブラッド・セルズ』(White Blood Cells)は、アメリカ合衆国のロック・バンド、ザ・ホワイト・ストライプスが2001年に発表した3作目のスタジオ・アルバム。バンドの出世作となった作品である[9]。 以前の作品のレコーディングは地元デトロイトで行われたが、本作はテネシー州メンフィスでレコーディングされた[10]。ジャック・ホワイトは、2作目のアルバム『デ・ステイル』を自宅の居間でレコーディングしたのは失敗だったと考えており、2003年に行われたThe A.V. Club
背景
アルバム・タイトルは白血球を意味しており、ジャックは2001年7月31日に掲載されたThe Village Voiceの記事で、タイトル及びジャケットのコンセプトに関して「俺達に近づいている影の人々がバクテリアで、メグ(・ホワイト)と俺が白血球だ」「バクテリアはメディアや音楽好きのことでもある」と説明している[12]。
本作はカントリー歌手ロレッタ・リンに捧げられており[13][14]、本作からのシングル「ホテル・ヨーバ」にはリンの曲「Rated X」のカヴァーが収録された[15]。リンはその後、ザ・ホワイト・ストライプスとライヴで共演し、また、2004年にはジャック・ホワイトがプロデュースしたアルバム『Van Lear Rose』をリリースしている[14]。 ジャック・ホワイトの甥で、ザ・ホワイト・ストライプスに関する記録を担当していたベン・ブラックウェルによれば、本作収録曲の多くはジャックが過去に作った「未完成の忘れられていた曲」を改作したものだという[16]。「アイ・キャン・ラーン」や「ディス・プロテクター」は、1997年に行われたザ・ホワイト・ストライプスの初ライヴで演奏されており、「ホテル・ヨーバ」「ザ・ユニオン・フォーエヴァー」「ナウ・メアリー」は、ジャック・ホワイトが1998年にTwo-Star Tabernacleというバンドで作った曲である[16]。また、「アイ・キャント・ウェイト」「オフェンド・イン・エヴリ・ウェイ」は、1999年にジャック・ホワイト・アンド・ザ・ブリックスというプロジェクトで作られた[16]。 「ホテル・ヨーバ」のタイトルは、デトロイトにある実在のホテルが由来となっている[17]。50秒で終わる「ア・リトル・ルーム」は、ジャックの説明によれば「注目されることには良い面も悪い面もある」ことをテーマとしており、それはアルバム全体に流れるテーマにもなっている[18]。「ザ・ユニオン・フォーエヴァー」のタイトル及び歌詞は1941年の映画『市民ケーン』に基づいており、作者のジャックもそのことを公言しているが、『市民ケーン』の権利を持つワーナー・ブラザースが著作権侵害を主張したこともあった[19]。 アメリカでは、インディーズの「シンパシー・フォー・ザ・レコード・インダストリー」からオリジナル盤がリリースされた[20]。その後、バンドは2001年11月にV2レコードとの契約を得ており[21]、2002年には本作が同レーベルから再発された。また、V2からはボーナスDVDが付属したヴァージョンも発売されている[22]。なお、『スピン』2002年10月号の記事によれば、バンドと契約したV2のアンディ・ガーションは当時「曲は素晴らしいけど、あまりにも録音が生々しくて、どうやってラジオで流せっていうんだい?」「とはいえ、私には凄いアルバムであるように思えた」と語っている[23]。 当初イギリスでは輸入盤のみ入手可能だったが[1]、バンドは2001年8月にインディーズ・レーベルのXLレコーディングスと契約を得て[24]、9月24日に同レーベルからイギリス盤が発売された[1]。
作詞・作曲
リリース