ホロコースト
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、ナチス・ドイツにより行われた迫害について説明しています。その他の用法については「ホロコースト (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ホロコースト関連地図。■は強制収容所、黒背景髑髏絶滅収容所の位置を指す。ダビデの星はドイツによって建設されたゲットー、赤線の髑髏は著名な虐殺事件があった場所を指す。ホロコースト関連図(ポーランド拡大図)

ホロコースト(ドイツ語: Holocaust[注釈 1]英語: The Holocaust、フランス語: La Shoah、イディッシュ語: ????? ???????‎、ヘブライ語: ?????‎)とは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツがドイツ国内や占領地でユダヤ人などに対して組織的に行った絶滅政策大量虐殺を指す。当時ヨーロッパにいたユダヤ人の3分の2にあたる約600万人が犠牲となった。
概要

1933年にナチ党が政権を獲得して以降、反ユダヤ主義国是となったドイツではユダヤ人に対して様々な迫害が行われた。第二次世界大戦勃発後、ナチス内部には「ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決」を行おうとする動きが強まり、ドイツ国内や占領地のユダヤ人を拘束し、強制収容所に送った。

収容所では強制労働を課し労働を通じた絶滅を行い、また、占領地に設置された絶滅収容所では銃殺、人体実験、ガス室などの殺害も行われ、1941年12月以降は絶滅収容所の導入など、殺害手段が次第にエスカレートしていった。親衛隊は強制収容所の管理を担い、各地でユダヤ人狩りを行い、東部戦線ではアインザッツグルッペンが活動した。

ドイツ国防軍は、親衛隊や中央官庁の要請に従いユダヤ人狩りへの協力を行った。軍需省や四カ年計画庁、一部企業は工場において強制労働を行わせた。また、ヴィシー政権下フランスをはじめとする占領地での「ユダヤ人狩り」は現地治安機関によっても実施された。

「ユダヤ人絶滅」が戦前からの計画の目的であったのか、戦争突入後の状況変化によって発生したものであったのかは研究者によって意見が分かれる。著名なホロコースト研究家の一人ラウル・ヒルバーグは「公式な法令としてユダヤ人殺害が命令されたことはなく、担当閣僚や特定の官庁も存在せず、特定の予算が割かれたこともなかった。それは実行計画ではなく、幅広い官僚が抱いた信じられないほどの精神の一致、総意の読み取りであった」[1]と、指摘している。

政権獲得後、ナチスはドイツ国内のユダヤ人への迫害を開始するとともに、ドイツ勢力圏外へ大量強制移住によって追放する計画(マダガスカル計画など)を立案していた[2]。しかしドイツの勢力が拡大すると、ドイツ国内のユダヤ人の数はさらに増大し、ポーランド占領によってさらに200万人のユダヤ人を抱え込むことになった[2]。ドイツは占領地やドイツ国内ユダヤ人をゲットーに移送し、独ソ戦開始後はロシア東方への移送をも考えていた[2]。しかし独ソ戦の戦況によって不可能になると、1942年7月から開始された強制収容所における強制労働を通した絶滅および、毒ガス一酸化炭素排気ガス等を用いた労働に適さない者への「間引き」、そして組織的殺戮へと計画変更されていた[2]

ドイツが敗勢に陥ると、ヘウムノ強制収容所などでは収容所を解体、収容者を殺害し証拠隠滅が図られた[3]。多くの文書史料はナチ政権が隠滅を行ったために失われているが、コルヘア報告書やアインザッツグルッペン報告書(英語版)などの親衛隊による報告書や[4]強制収容所の管理文書[5]、1942年9月17日のヨーゼフ・ゲッベルスによる強制労働によるユダヤ人殺害を提言した文書など[6]、いくつかの重要資料は残っている。

大戦後期には連合国が、ドイツ政府によるユダヤ人組織的殺害が行われていると声明し、占領によって強制収容所が解放されていくことで全世界に広まった。ニュルンベルク裁判では「ユダヤ人大量虐殺」計画が罪状の一つとして取り上げられ、ルドルフ・フェルディナント・ヘスやヴィルヘルム・へトゥル(ドイツ語版)などの[7]関係者の証言が行われ、認定された。戦後にはジェラルド・ライトリンガー(ドイツ語版、英語版)、ラウル・ヒルバーグウィリアム・シャイラー等の歴史家によってこの時代のユダヤ人の運命についての通説が確立した。

ホロコーストで犠牲となったユダヤ人は当初少なくとも600万人以上とされていた。また、同時期にナチス・ドイツの人種政策(英語版)によって行われたロマ人に対するポライモス、成人の精神障害者へのT4作戦、反社会分子とされた人々(労働忌避者、浮浪者、シンティ・ロマ人など)や障害者、同性愛者ナチス・ドイツとホロコーストによる同性愛者迫害)、エホバの証人スラヴ人に対する迫害などもホロコーストに含んで語られることもある。主に独ソ戦における戦争捕虜、現地住民が飢餓や強制労働による死亡者に対しても「ホロコースト」の語が使用されることもあり、こうした広い概念でとらえた場合の犠牲者数は、900万から1,100万人にのぼるとする説がある。なお、この語をユダヤ人以外にも拡大使用することについては反対する意見も存在する[8]
語源および語の使用の変遷
語源

ホロコーストは「全部 (?λο?[注釈 2])」、「焼く (καυστ??[注釈 3])」に由来するギリシア語「?λ?καυστον[注釈 4]」を語源とし[9]ラテン語「holocaustum」からフランス語「holocauste」を経由して英語に入った語であり、元来は、古代ユダヤ教祭事で獣を丸焼きにし神前に供える犠牲、「丸焼きの供物」、すなわち元来はユダヤ教の宗教用語にあたる 燔祭を意味していた[9][10][注釈 5]。こうしたことから殉教のための犠牲をも意味するようになり[9]、転じて火災による大虐殺、大破壊、全滅を意味するようになった[11]。英語では、ユダヤ人虐殺に対しては定冠詞をつけて固有名詞 (The Holocaust) とし、その他の用法を普通名詞 (holocaust) として区別している。例えばアルフレッド・ヒッチコックの映画『北北西に進路を取れ』では劇中タンクローリーの炎上事故を伝える新聞の見出しで「Holocaust」という言葉が使われていた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:238 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef