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ホルスト・ケーラー
Horst Kohler
ドイツ連邦共和国
第9代 連邦大統領
任期2004年7月1日 – 2010年5月31日
出生 (1943-02-22) 1943年2月22日(81歳)
ドイツ国占領下
ハイデンシュタイン(ドイツ語版)
(現 ポーランド、ザモシチ近郊 スキェルビェシュフ)
政党キリスト教民主同盟
配偶者エファ・ケーラー
ホルスト・ケーラー(Horst Kohler、1943年2月22日 - )は、ドイツの官僚、政治家で第9代連邦大統領。任期は2004年7月1日から。経済家で、2000年から2004年3月まで国際通貨基金 (IMF) 専務理事を務めたため、アメリカ合衆国で生活した経験を持つ。キリスト教民主同盟 (CDU) の党員。
2010年5月31日、アフガニスタンでのドイツ連邦軍の活動に関する発言で批判を受け、任期半ばで辞任した。
経歴
出自・教育(ドイツ語版) Skierbieszow (ドイツ語名:ハイデンシュタイン Heidenstein)に、8人兄弟の7番目の子として生まれた。両親はベッサラビア(現モルドヴァ共和国)北部に住んでいたベッサラビア・ドイツ人(ドイツ語版)で、バルツィ近郊にあったその村は1865年にドイツからの移民により建設された。
1940年、独ソ不可侵条約の結果ソヴィエト連邦がベッサラビアを併合すると、ナチスの政策によりケーラー家などドイツ系住民はドイツ本国に集められ、次いで占領地をドイツ化する目的でポーランドに入植させられていた。1944年、対独パルチザンの活動が激しくなると1歳のケーラーは母と共に収容所に移り、さらにソ連軍がポーランドに進撃すると、一家は数百万人のドイツ人同様、戦火を避けて西方に逃れた。戦後はライプツィヒ近郊に落ち着いた一家だったが、東ドイツ政府による集団農場化を嫌い、1953年に一家は西ベルリンに逃れ、バーデン=ヴュルテンベルク州にあった難民キャンプに入った。
1957年に一家はようやくルートヴィヒスブルクに安住の地を得た。ケーラーはルートヴィヒスブルクのギムナジウムに通い、この町を故郷とみなしている。少年時代はボーイスカウトをしていた。1963年にギムナジウムを卒業すると、兵役でドイツ連邦軍に入営して装甲擲弾兵部隊に配属され、兵役の一年延長を志願して予備役少尉になった。1965年にテュービンゲン大学に入学し、経済学、政治学を学び、1969年に経済学のディプロム(Diplom:修士相当)取得。学生時代は学生団(ブルシェンシャフト)に属していた。1969年から76年まで同大学の経済学研究所に属し、1977年に博士号を取得した。
宗派はプロテスタントで、エファ夫人との間に二児がある。夫人は一時期ドイツ社会民主党(SPD)の地方組織活動に参加していたことがある。 1976年に連邦経済省に入省し、政策局に勤務。1981年にキリスト教民主同盟 (CDU) に入党し、同年シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州政府の州首相府に移った。ゲルハルト・シュトルテンベルク州首相の勧めで1982年に連邦財務省に転じ、大臣官房長。1987年、同省財政局長。1989年に同省金融局長となる。1990年に連邦財務省事務次官に就任。マーストリヒト条約の締結交渉やドイツ再統一に伴う金融・財政の責任者となった。旧東ドイツからのソ連軍撤収費用としてソ連との間で財政支援協定を締結。また1991年の湾岸戦争の際に、多国籍軍支援としてドイツがアメリカ合衆国に120億ドイツマルクを支払った協定もケーラーが担当した。当時のヘルムート・コール首相 (CDU) の信頼が厚く、G7 の経済会議にも代表として4回出席した。ドイツ再統一の際東西両ドイツは通貨同盟を締結したが、その際財界の要請に応じて東ドイツの経済価値を過大評価し、のちにドイツ政府に2000億マルクもの追加負債を与えたのはケーラーの責任であるという声もある。U2 のボノと対話する、IMF 専務理事時代のケーラー 1993年から98年まで、ドイツ貯蓄銀行協会会長。次いで2000年まで第3代欧州復興開発銀行総裁を務めた。2000年、ゲアハルト・シュレーダー首相の推薦で第8代国際通貨基金 (IMF) 専務理事に就任した。その際日米欧三極委員会の委員となった。この経歴が現在にいたるまで、アメリカ的という彼の政治的・経済的性向に関する評判の起源となっているが、実際のところは明言していない。2003年には20年におよぶ金融・財政分野での活動が顕彰され、母校テュービンゲン大学の名誉教授となった。2004年3月、野党 キリスト教民主同盟(CDU) と自由民主党 (FDP) は候補者選びに難航した末、両党共同の連邦大統領候補としてケーラーを指名した。母国での連邦会議に備えて、ケーラーは IMF 専務理事の任期を1年残して辞任した。 ケーラーの対立候補は与党ドイツ社会民主党(SPD)の推す女性大学教授ゲジーネ・シュヴァン
経済官僚、IMF専務理事