ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家
Дом Гольштейн-Готторп-Романовы
国ロシア帝国
フィンランド大公国
ポーランド立憲王国
主家ロマノフ家
ホルシュタイン=ゴットルプ家
創設1742年
家祖ピョートル3世
現当主マリヤ・ウラジーミロヴナ(競合中)
ドミトリー・ロマノヴィチ
ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家(ロシア語: Дома Гольштейн-Готторп-Романовы、ドイツ語: Haus Holstein-Gottorp-Romanow)は、1762年から1917年までロシア帝国を統治したホルシュタイン=ゴットルプ家の分家。ロマノフ家が占めていたロシア皇帝位を引き継いだことで、一般にはロマノフ家と区別することなく扱われる場合が多い。 1762年にロシア女帝であったエリザヴェータが崩御してロマノフ家の男系が断絶すると、ロシア皇帝位はエリザヴェータの姉アンナの息子のピョートル3世(カール・ペーター・ウルリヒ)が継いだ。ホルシュタイン=ゴットルプ家出身のカール・ペーター・ウルリヒは1742年、子供のいなかったエリザヴェータに後継者として迎えられていた。 ピョートル3世が崩御すると、帝位はアンハルト=ツェルプスト家出身の皇后エカチェリーナの元に渡り(エカチェリーナ2世)、一時的にホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家から離れることになった。ちなみに、エカチェリーナの母親はホルシュタイン=ゴットルプ家出身であった。 エカチェリーナ2世が崩御すると、ピョートル3世とエカチェリーナ2世の息子であったパーヴェルが継いだことで、帝冠はホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家の元に戻った。パーヴェル1世は男系男子による長子相続を原則とした帝位継承法を定め、継承権を持つ皇族は対等な結婚(貴賤結婚ではない)から生まれた者に限定した。 1917年の2月革命によって帝政は打倒され、最後の皇帝であったニコライ2世は退位を余儀なくされた。後にニコライ2世は皇太子のアレクセイ大公と共にチェーカーによって殺害され、弟のミハイル大公もペルミで殺害された。 現在のホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家は、アレクセイの再従弟にあたるウラジーミルの一人娘、マリヤ・ウラジーミロヴナが最長子系の子孫として家長位を主張している。マリヤは他の皇族の男系子孫は全員貴賤結婚から生まれているために継承権を喪失しているとしているが、皇族の男系子孫たちは女子であるマリヤが男子を差し置いて家長を名乗ることに異議を唱えている。詳細は「ロシア帝位請求者」を参照 フレデリク4世
歴史
系図
系図1
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公 ピョートル1世
ロシア皇帝
カール・フリードリヒ
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公 アンナ エリザヴェータ
ロシア皇帝
ピョートル3世
ロシア皇帝 エカチェリーナ2世
ロシア皇帝
パーヴェル1世
ロシア皇帝
アレクサンドル1世
ロシア皇帝 コンスタンチン アレクサンドラ
オーストリア大公妃 マリア
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公妃 カタリーナ
ヴュルテンベルク王妃 アンナ
オランダ王妃 ニコライ1世
ロシア皇帝 ミハイル
アレクサンドル2世
ロシア皇帝 マリア
ロイヒテンベルク公妃 オルガ