ホメリ州
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ホメリ州
Гомельская вобласць (
ベラルーシ語)
Гомельская область (ロシア語)



紋章


 ベラルーシ
州都ホメリ
設立1938年1月18日
面積
 ? 合計40,400 km2
人口(2022)
 ? 合計1,357,897人
 ? 密度34人/km2
等時帯UTC +3
ウェブサイト ⇒www.gomel-region.by

ホメリ州(ベラルーシ語:Го?мельская во?бласць、ロシア語:Гомельская область)は、ベラルーシ南東部に位置するである。州都はホメリ。面積は40,400km2[1]、人口は1,357,897人(2022年)[2]。ベラルーシで最も面積の広い州であり、国土面積の約5分の1を占める。

北にマヒリョウ州、北西にミンスク州、西にブレスト州と接する。東はロシアブリャンスク州)、南と南東はウクライナチェルニーヒウ州キーウ州ジトーミル州)と国境を接している。
歴史
古代

現在のベラルーシの国土の中でも、この地域には古くから人類が住んでいた。中期旧石器時代の遺物がチャチェルスク地区ポドルジェ、ヴェトカ地区スヴェティロヴィチなどで発見されている[3][4]。また、ヴェトカ地区ノヴォセルキ、カリンコヴィチ地区ユロヴィチ(約27,000年前)、チャチェルスク地区ベルディジ(約24,000年前)などの遺跡の発掘結果から、後期旧石器時代に人類がこの地域に定住していたのは確実である[3][4]。当時の気候は寒冷で、植物はまばらで、典型的な北極圏のツンドラ地帯であった[5]
キエフ大公国、リトアニア大公国時代

8-9世紀以降、プリピャチ川ベレジナ川ドニエプル川の沿岸にドレゴヴィチ族ラヂミチ族が定住するようになった。

9世紀末、現在のホメリ、チャチェルスクを含むラヂミチ族の土地は、キエフ大公国の支配下にチェルニーヒウ公国スモレンスク公国の一部となった[6]。ホメリ市は、1142年の『イパーチー年代記』でチェルニーヒウ公国の領土として初めて言及された[3]

950年頃、ドレゴヴィチ族は現在のトゥーラウを中心としてトゥーロフ公国を形成した[7]。トゥーラウは980年の『原初年代記』で初めて言及されており、ホメリ地方で文献上の初出が最も古い都市である[3]。10世紀末にはキエフ大公国の支配下となった。

13世紀半ばのモンゴル帝国の侵攻では、ホメリ、トゥーラウ近郊で戦闘が行われた[5]

1316年頃トゥーロフ公国が、1335年頃にはホメリがリトアニア大公国に併合された[5]

トゥーラウはその後1502年と1521年にタタールの侵攻を受け、この影響で約1世紀の間オストログスキ家の所有となった。17世紀の大洪水時代モスクワ大公国の支配下となったが、ほどなくしてポーランド・リトアニア共和国が奪還した。以後のモスクワとの戦いの中で町は荒廃し、現在に至るまで人口は回復していない。第二次ポーランド分割によりロシア帝国領となった。

ホメリは1446年以降モスクワ大公国の王子の所有となった。リトアニア・ポーランド連合軍は、1500年から1503年にかけての第二次モスクワ・リトアニア戦争でホメリを含むかつての領土の奪還を試み失敗、しかし1535年の第五次戦争においてホメリの奪還に成功し、ホメリはリトアニア大公国の支配下となった。

1569年のポーランド・リトアニア共和国成立の後も、コサックやロシアとの戦いの場となった。

絶え間なく戦争が続く状況下において、この地域の都市は商業や産業の中心地というよりも要塞としての性格を帯びていた。そのため、マクデブルク法が1561年にレチツァ[8]、1577年にマズィル[9]、1670年にホメリに適用され、自治権が保障されたことはこれらの都市の発展に寄与した[5]
ロシア帝国時代


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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