ホムス
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この項目では、シリアにある都市について説明しています。ロシアサハ共和国に伝わる民族楽器のホムスについては「口琴」を、リビアの都市については「フムス (リビア)」をご覧ください。

ホムス
???
Hims
Homs

愛称 : イブン=アル=ワリードの都市
位置

シリア内のホムス(?im?)の位置
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ホムスホムス (シリア)シリアの地図を表示ホムスホムス (地中海東海岸)地中海東海岸の地図を表示ホムスホムス (レバント海)レバント海の地図を表示ホムスホムス (中東)中東の地図を表示
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度44分 東経36度43分 / 北緯34.733度 東経36.717度 / 34.733; 36.717
行政
シリア
 ホムス県
 郡ホムス郡
 市ホムス
市長Nadia Kseibi
地理
面積 
  市域48 km2
標高501 m
人口
人口(2008年現在)
  市域82万3000人
その他
等時帯UTC+3
公式ウェブサイト : ⇒http://www.homscitycouncil.org.sy/

ホムス(Homs、アラビア語: ???‎、?im?, ヒムス/フムス)は、シリア(シリア・アラブ共和国)西部にある都市で、ホムス県の県都である。地中海から若干離れた内陸にあり、海抜はおよそ450メートルオロンテス川沿いにある。現在の人口は65万人という見積もりから120万人という見積もりまで様々である。

シリアの二大都市、ダマスカスアレッポの中間に位置し、ダマスカスからは北へ160キロメートル、アレッポからは南に190キロメートル。シリア第三の大都市であり、またタルトゥースなど地中海沿岸都市とダマスカスやアレッポなど内陸の都市を結ぶ結節点でもある。ホムスの西側には、地中海沿いに伸びるレバノン山脈が途切れヌサイリーヤ山脈が始まる大きな峠(Homs Gap)があり、この峠が古くから地中海側とオロンテス川流域・メソポタミア方面を結ぶ交易上・軍事上の重要な道となってきた。ホムスは古代から、この峠の東の入口を扼し地中海へとつながる拠点都市である。

古代ローマ時代はエメサ(Emesa)の名で知られた重要都市であったため多くの遺跡が残るほか、十字軍の拠点だったクラック・デ・シュヴァリエが近郊にあり、ホムスと地中海側のトリポリとをつなぐ峠を見張るように建てられている。イスラム初期の正統カリフ時代の武将、ハーリド・イブン=アル=ワリードの墓所もある。
歴史

シリアとイギリスの合同でホムス城塞の発掘が行われたが、丘の南東側のふもとで、岩床のちょうど上から陶器が発掘された。これは紀元前2300年ごろの集落の存在を示すものだが、調査地が狭く、深い穴が安全に掘れないため、これ以上の深さへの発掘調査はできなかった。ホムスの西に広がるホムス湖はオロンテス川をダムでせき止めた湖で、紀元前1300年ごろのダムをそのまま使っており、現存する世界最古のダムの一つである。

都市としてのホムスの、セレウコス朝以前の歴史ははっきりせず、アレクサンドロス大王の死の直後ごろの記録にようやく登場する。ヘメサ(Hemesa)と呼ばれた古代のホムスは、付近の大都市アパメアの管轄下にあり、太陽神エル・ガバル(El-Gabal)のための大きな神殿があった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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