ホノルル_(軽巡洋艦)
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ホノルル
USS ホノルル(1939年2月)
基本情報
建造所ニューヨーク州ブルックリン海軍工廠
運用者 アメリカ海軍
級名ブルックリン級軽巡洋艦
艦歴
発注1929年2月13日
起工1935年12月9日
進水1937年8月26日
就役1938年6月15日
退役1946年2月3日
除籍1959年3月1日
除籍後1959年11月17日、スクラップとして売却
要目
排水量10,000 トン
基準排水量9,767 トン
満載排水量12,207 トン
全長610 ft (190 m)
水線長608 ft (185 m)
最大幅68.2 ft (20.8 m)
吃水27.5 ft (8.4 m)
主缶バブコック・アンド・ウィルコックス重油専焼水管缶×8基
主機ウェスティングハウス式ギヤード・タービン×4基
出力100,000 hp (75,000 kW)
推進器スクリュープロペラ×4軸推進
最大速力34ノット (63 km/h)
乗員868名
兵装.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

Mk-16 6インチ三連装速射砲(英語版)×5基

Mk-10 5インチ単装高角砲×8基

ブローニング 12.7mm単装機銃×8門

搭載機SOC シーガル×4機
その他船尾カタパルト×2基
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ホノルル (USS Honolulu, CL-48) は、アメリカ海軍軽巡洋艦ブルックリン級軽巡洋艦の1隻。艦名は当時準州の扱いであったハワイ州の都市ホノルルに因む。その名を持つ艦としては2隻目。
艦歴

ホノルルはニューヨーク州ニューヨークブルックリン海軍工廠で起工した。1937年8月26日にヘレン・ポインデクスター(ハワイ州知事ジョセフ・B・ポインデクスター(英語版)の娘)によって命名、進水し、1938年6月15日に艦長オスカー・スミス大佐の指揮下就役した。

イギリスへの整調巡航後、ホノルルはカリブ海で艦隊演習および訓練に従事した。1939年5月24日にニューヨークを出航、太平洋艦隊に合流するためカリフォルニア州サンペドロに向かい、6月14日に到着した。同年の残りは西海岸での演習に従事し、1940年の前半をロングビーチ沖での作戦活動およびピュージェット・サウンド海軍造船所でのオーバーホールに費やす。11月5日に真珠湾での任務のため出航し、1941年まで同地で活動する。
第二次世界大戦

1941年12月8日の真珠湾攻撃時、ホノルルは真珠湾海軍基地に停泊中であった。攻撃でホノルルは急降下爆撃を受け、250キロ爆弾1発と至近弾により船体を小破した[1]。修理後、ホノルルは1942年1月12日にサンフランシスコへの船団護衛任務で出航し、1月21日に到着した。その後も船団護衛任務でオーストラリアサモアへの巡航を行い、1942年5月後半に帰国した。

日本軍の北方への進出に対抗し、ホノルルは同地の支援のため5月29日に出航した。アラスカ州コディアックでの2ヶ月に及ぶ活動後、8月7日に重巡洋艦「インディアナポリス」、「ルイビル」などともにキスカ島に対する艦砲射撃を行った。この艦砲射撃による日本側の被害は水上戦闘機1機破損、戦死者2名であった[2]。8月21日、アダック島に対する上陸部隊の支援を行う。同島への上陸はアリューシャン列島への侵攻の足がかりであった。メア・アイランド海軍造船所でのオーバーホール後、ホノルルは11月3日にサンフランシスコを出航し、南太平洋のヌメアへ向かう船団の護衛を担当した。
ルンガ沖夜戦(タサファロング沖海戦)「ルンガ沖夜戦」も参照

11月後半に入り、ホノルルはカールトン・H・ライト少将の第67任務部隊(英語版)に加わった。第67任務部隊は南太平洋部隊司令官ウィリアム・ハルゼー大将の命を受けて、「東京急行」を「脱線」させるべく11月29日にニューヘブリディース諸島エスピリトゥサント島を出撃し、ガダルカナル島近海に急行した。11月30日も終わろうとする真夜中、ガダルカナル島北方のアイアンボトム・サウンドと呼ばれた海域に東から第67任務部隊が、西から田中頼三少将率いる第二水雷戦隊の一隊がサボ島の西南方からそれぞれ進入した。

ルンガ沖夜戦は、互いの部隊が相手を探知したことから始まった。第67任務部隊の攻撃は相手警戒隊の駆逐艦高波を爆発炎上させた。第67任務部隊が瀕死の高波に気を取られている最中、第二水雷戦隊は第67任務部隊が発砲の際に発する閃光を頼りに相手の動きを探り、第67任務部隊の射程外に達したと判断するや酸素魚雷を大量に発射。第67任務部隊の巡洋艦は魚雷発射に気付かず通常の速力で航行していたため、酸素魚雷の槍衾に晒された[3]。先頭艦の重巡洋艦ミネアポリス (USS Minneapolis, CA-36) および二番艦ニューオーリンズ (USS New Orleans, CA-32) は共に艦首に魚雷が命中し、両艦とも艦首が吹き飛ばされ鼻先がない面を並べるに至った。三番艦ペンサコーラ (USS Pensacola, CA-24) は後部に魚雷が命中して大火災を発生した。殿艦ノーザンプトン (USS Northampton, CA-26) には2本が命中し、同じ場所に命中したように見えた[4]

当のホノルルはペンサコーラとノーザンプトンの間に挟まれて航行していたが、前を航行する3隻の様子を見て、30ノットの速力で非戦側に避けて酸素魚雷の槍衾から逃れることが出来た。アメリカ側は輸送作戦を阻止したため戦略的には勝ったものの、ノーザンプトンが沈没して他の重巡洋艦もひどく損傷したので、戦術的には完敗した。
クラ湾夜戦(クラ湾海戦)「クラ湾夜戦」も参照

ホノルルは1943年の初頭を第67任務部隊と共にエスピリトゥサント島を本拠にして活動し、「東京急行」を攻撃し続けた。5月にはソロモン諸島ニュージョージア島へ砲撃を行う。6月28日、ホノルルは第36.1任務群(ウォルデン・L・エインスワース少将)に加わり、その旗艦となった[5]


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