ホノルルマラソン
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ホノルルマラソン

開催地アメリカ合衆国 ハワイ州 ホノルル
開催時期12月の第2日曜日
2018: 2018年12月9日[1]
種類道路
距離マラソン
最高記録男子: 2時間08分27秒(2017年)
ローレンス・チェロノ
女子: 2時間22分15秒(2017年)
ブリジッド・コスゲイ(英語版)
創立1973年
スポンサー日本航空
公式サイト ⇒honolulumarathon.org
プロジェクト:スポーツテンプレート

ホノルルマラソン (Honolulu Marathon) は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ホノルル市で開催されるロードレース(マラソン)大会で、半世紀以上の歴史がある。1977年以降は12月第2日曜日に開催することになっている[2]。1984年の第12回大会以降、長年に亘り日本航空(JAL)が協賛しており[3]、同年以降現在に至るまで正式大会名は「JALホノルルマラソン」となっている[4]
概要

フルマラソン2種目の他、10kmマラソン1種目の計3種目で行われる。

フルマラソンのコースは、アラモアナ公園をスタート、一旦ダウンタウンに向かった後アラモアナに戻り、その後ワイキキを通り、カピオラニ公園、ダイヤモンドヘッド、ワイアラエ・ビーチを眺め、カラニアナオレ・ハイウェイを通ってハワイカイを折り返し、カピオラニ公園をゴールとする42.195km(26.2マイル)のフルマラソンコースで、「フルマラソン」(一般部門)と「フルマラソン車椅子競技部門」で構成されている[5]

10kmマラソンのコースは、フルマラソンと同じくアラモアナ公園をスタート、ダウンタウンからアラモアナへ戻り、ワイキキ通った後、カピオラニ公園をゴールとする「10K ラン&ウォーク」の1種目。

通常「フルマラソン」のスタート時刻は午前5時、「フルマラソン車椅子競技部門」はそれに先立つ4時55分となっている。また「フルマラソン」では総合表彰とは別に年齢別(15歳以上99歳まで5歳刻み、100歳以上)の上位選手を対象にした表彰、また予め登録された3名1組によるチームの合計タイムで競うチーム部門(3名の合計年齢及び男女の構成状況による9つのカテゴリー)を対象とした表彰もある[5]

「10K ラン&ウォーク」は通常「フルマラソン」と同時の午前5時にスタートする。その後もフルマラソンと同じコースを走りゴール地点もカピオラニ公園と同じではあるが、フィニッシュラインはフルマラソンとは異なる。なお、2016年第44回大会までは「10K ラン&ウォーク」の前身となる、フルマラソンスタートの約25分後にスタートし、カピオラニ公園まで約10kmを歩く「レースデー・ウォーク」(開始当時の呼称は「メイヤーズ・ウォーク」)が行われていたが、こちらでは走ることは禁止されていた。

アメリカ合衆国ではニューヨークシティーマラソンボストンマラソンシカゴマラソンと並ぶ「全米4大マラソン大会」(規模としては3位)の一つであり、全世界を通じても参加人数的に6番目の規模の大会はあるが、マラソンとしては高温下、また風が強い中で行われるという気象条件、さらにコースのアップダウンなどの条件が厳しいため、先述の3箇所のマラソンと違い、「世界記録が決して出ないコース」とも言われ、実際大会最高記録は、男子が2時間8分27秒 <ローレンス・チェロノ (ケニア2017年)>、女子が2時間22分15秒 <ブリジッド・コスゲイ(ケニア、2017年)> と、男女とも比較的平凡な記録である。

大会の特徴の一つとして、時間制限を設けていないこと(ゴール時間および参加標準記録。但しゴールゲートは16時台を目処に撤去され、それ以降ゴールした参加者のゴールタイムは手動計時となる)や、大会当日に満7歳以上の健康な人なら誰でも参加できること[5]も手伝って、健康づくりのために参加している一般市民ランナーや、フルマラソン初参加のランナーも多く、「世界一の市民マラソン大会」、「ジョガーの祭典」とまでいわれる。

かつては日本人ランナーが全参加者の半数以上を占めていた(アメリカ合衆国の観光ビザ取得が免除されたバブル景気期(1989年)以降、1999年アメリカ同時多発テロ事件の影響で1万人を下回った2001年以外は2012年まで毎回)。2013年以降は過半数を下回ったものの、なお多くの日本人が参加している。冠スポンサーの日本航空は、大会開催に合わせツアーを企画し多数の臨時便を運航している[6]。このため、現在の大会公式スポンサーは、日本航空も含め全て日本企業となっている。なお、日本人ランナーで女子では2003年早川英里2008年嶋原清子が優勝、車椅子部門では男子で副島正純、女子の部で土田和歌子らが優勝しているものの、男性一般ランナーの優勝者は過去に出ていない。
歴史

1973年12月16日に第1回大会を開き、2019年までに47回開催されている。第1回大会は地元ハワイ州に在住しているジョギング愛好家167人によって行われた。なお第1回目の男性優勝者はダンカン・マクドナルドで、女性優勝者はジューン・チュンであった[7]

1976年に日本人としては初めて佐々木生道が参加。その後は年々参加者を増やしていき、1982年の第10回大会で1万人を突破した。1985年の第13回大会以降日本航空が冠スポンサーとなったこともあり、日本人参加者が増加を続け、1992年の第20回大会以後は毎年2-3万人程度が参加している。

しかし2020年新型コロナウイルス感染拡大の影響により、大会運営に必要な公道・公園使用等を含め許認可の獲得をすることが困難と判断し、10月23日、12月の開催を断念し2021年上期に延期もしくは中止、また中止の場合、第48回大会にエントリーした参加者は2021年12月開催の第49回ホノルルマラソンに追加料金なしで参加することができるとの声明を出した[8]
関連行事

大会直前の水曜から土曜の間、「ホノルルマラソン・エキスポ」を開催している[9]2003年以前は、ワイキキにあるアウトリガー・リーフ・ホテルで小規模に開催されていたが、2004年大会から、ハワイ・コンベンション・センターで開催するようになった。参加選手のゼッケン(レースデー・ウォークを含む)やタイム計測のためのチャンピオンチップ(2007年のみSAIタグ)を参加者各自で受け取るコーナーのほか、大会スポンサーを中心に数多くの店舗や関連グッズを販売するサービスブースなどが出店する。

また、大会前々日の金曜夕方、大会ゴール地点に程近いワイキキ・シェルで、有料のイベント「ホノルルマラソン・ルアウ」が開催されている[10]。以前は「カーボローディング・パーティー」と称しており、その名の通り炭水化物中心の料理がビュッフェ(バイキング方式)で提供されていた[11]。現在も料理内容は大きく変わらないが、ショーの出演者の方に力を入れるようになっている。なお、飲物も追加料金不要で飲み放題であったが、2007年から、それまで追加料金不要で提供されていたビールバドライト)のみ追加料金が必要となった。
時間計測システム障害問題

2007年、第35回大会から、それまで7大会連続で使用されたチャンピオンチップに代わり、SAIタグを計測に使用することが、大会開催のおよそ10日前、11月29日に発表された。しかし、大会開催当日の12月9日、コース各所で豪雨となり、一部ランナーのタイムが計測できず、完走者に発行される完走証に、従来行われていた途中経過タイム記載が一部できなくなるという障害が発生した。

この問題について、ホノルルマラソン協会は、イベント当日に各ランナーに計測タイムの速報値を渡す予定にしていたがこの障害によりできなくなったスポンサーのNTTドコモ、および不利益を被った各ランナーに対し、公式ホームページなどを通じ公式謝罪した。

また、2008年大会では、SAIタグを利用せず、再びチャンピオンチップ使用に戻した。
参加者数
フルマラソン エントリー数

年度回数総エントリー数うち日本人
1973年11620
1974年23150
1975年37820
1976年41,6701
1977年53,500120
1978年67,204200
1979年78,500500
1980年88,419650
1981年97,270977
1982年1012,2751,500
1983年1110,8471,300
1984年1210,6531,867
1985年139,3102,361
1986年1410,3543,553
1987年1510,4134,551
1988年1610,2055,094
1989年1710,8136,004
1990年1813,2688,674
1991年1914,60510,236
1992年2030,90518,286
1993年2129,51419,001


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