ホナウド・ジャカレイ
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はソウザ、第二姓(父方の姓)はドス・サントスです。

ホナウド・ジャカレイ
基本情報
本名ホナウド・ソウザ・ドス・サントス
(Ronaldo Souza dos Santos)
通称ジャカレ (Jacare)
柔術アリゲーター
国籍 ブラジル
生年月日 (1979-12-07) 1979年12月7日(44歳)
出身地 ブラジル
エスピリトサント州ヴィラ・ヴェーリャ
居住 アメリカ合衆国
フロリダ州オーランド
所属ブラジル・ドージョー
→ブラザ柔術
→アスレ・マナウス-エクストリーム・クートゥア
ブラック・ハウス
身長185cm
体重84kg
リーチ183cm
階級ミドル級
バックボーンブラジリアン柔術 (黒帯四段)
柔道 (黒帯)
ムエタイ
テーマ曲Marginal Menestrel
(Mv Bill)
総合格闘技戦績
総試合数37
勝ち26
KO勝ち5
一本勝ち17
判定勝ち4
敗け10
無効試合1
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獲得メダル
ブラジル
男子 グラップリング
アブダビコンバット
銀2003 サンパウロ88kg級
金2005 ロングビーチ88kg級
銀2005 ロングビーチ無差別級

ホナウド・ジャカレイ(Ronaldo Jacare、1979年12月7日 - )は、ブラジル男性柔術家総合格闘家エスピリトサント州ヴィラ・ヴェーリャ出身。ブラック・ハウス所属。元Strikeforce世界ミドル級王者。ジャカレ・ソウザとも表記される

アグレッシブな闘いをし、勝利後には自身のニックネームでもある「ジャカレ」(ポルトガル語での意味)の動きを真似たパフォーマンスを行なう。このニックネームは、住み込みで練習していた道場のシンボルが鰐だったことに由来する。
来歴

貧困なカフーゾ家庭に育ち、15歳の時に親友が射殺されるのを目撃する。この事がきっかけとなり、母親はジャカレイをマナウスに住む兄のもとに移住させた。17歳の頃ブラジリアン柔術柔道を始めると、ジムに住み込み柔術の練習に明け暮れ、直ぐに州のチャンピオンとなった。

2001年、ブラジリアン柔術の世界大会『ムンジアル』の紫帯メジオ級と無差別級で初優勝。2002年、茶帯でメイオペサード級と無差別級を制する。2003年、『ムンジアル』と合わせて茶帯のメイオペサード級と無差別級で優勝、四冠を達成。

2003年、アブダビコンバットにも参戦、男子88kg未満級で準優勝。2005年には同階級で優勝を果たし、また無差別級でも準優勝となった。

2003年9月13日、Jungle Fight 1総合格闘技デビュー。ジョルジ・パチーユ・マカコにパンチでKO負け。

2003年11月1日、日本で開催されたプロ柔術「DESAFIO」のメインイベントで佐藤博信と対戦し、三角絞めで一本勝ち[1]

2004年、『コパドムンド』でメイオペサード級、無差別級を制する。ムンジアル無差別級ではホジャー・グレイシー相手に肘を脱臼させられながらもタップせずにポイントで勝利、決勝に進出していたメイオペザード級の決勝は棄権となるものの三冠を達成。

2005年、『ムンジアル』のメイオペザード級、無差別級で優勝、2001年から5年連続優勝を果たした。これはブラジリアン柔術初の快挙である。

2006年4月29日、総合格闘技3戦目となったJungle Fight 6でアレキサンダー・シュレメンコに肩固めで一本勝ち。

2006年11月17日、プログラップリング大会のX-MISSIONにおいてランディ・クートゥアと対戦し、本戦4分2R・延長1分2Rで決着がつかず、引き分けた。

2007年1月から2月にかけて、チーム・クロコップにおいてトレーニングを行った。
DREAM

2008年4月29日、DREAM.2のミドル級グランプリ1回戦でイアン・マーフィーと対戦し、裸絞めで1R一本勝ち。6月15日、DREAM.4の2回戦でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、ポジショニングで上回り3-0の判定勝ち。

2008年9月23日、DREAM.6のミドル級グランプリ準決勝でゼルグ・"弁慶"・ガレシック腕ひしぎ十字固めで1R一本勝ち。決勝ではゲガール・ムサシと対戦し、序盤にテイクダウンを奪いグラウンドへ持ち込んだものの、パウンドを放とうとした際に下からの顔面への蹴り上げで1RTKO負け。惜しくも準優勝となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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