ホテルニュージャパン火災
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ホテルニュージャパン火災
火災後の跡地(1993年8月30日撮影)
1996年に解体されるまで放置されていた
現場 日本東京都千代田区永田町2丁目13番8号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分32.9秒 東経139度44分19.3秒 / 北緯35.675806度 東経139.738694度 / 35.675806; 139.738694座標: 北緯35度40分32.9秒 東経139度44分19.3秒 / 北緯35.675806度 東経139.738694度 / 35.675806; 139.738694
発生日1982年昭和57年)2月8日
3時16?17分頃[1]
類焼面積4186 m2
原因宿泊客の寝たばこの不始末
死者33人
負傷者34人

ホテルニュージャパン火災(ホテルニュージャパンかさい)とは、1982年昭和57年)2月8日未明、東京都千代田区永田町2丁目のホテルニュージャパン(株式会社ホテルニユージャパン経営、地下2階、地上10階建、延床面積4万6,697平方メートル)で発生した火災事故である。

直接の原因は宿泊客の寝タバコの不始末だったが、同ホテルの内部構造上の問題に加え、当時同ホテルのオーナー兼社長だった横井英樹が行った利益優先主義に基づく経営や杜撰な防火管理体制なども被害拡大の要因となった。後に横井は、杜撰な防火管理体制の下に経営を行い、防火および消火設備の維持管理や従業員に対する指導を怠り、被害を拡大させたとして刑事責任を問われ、業務上過失致死傷罪により禁錮3年の実刑判決を受けている。
概要

火災は1982年昭和57年)2月8日午前3時過ぎに発生した[2][3]。ホテルニュージャパンの構造は鉄骨鉄筋コンクリート耐火造、地下2階、地上10階で、火災当時の状況は宿泊者352人、従業員21人、警備員5人だった[4][5]。なお、宿直従業員数については正規従業員が22人、下請従業員が13人(警備5人、機械設備5人、清掃3人)、その他1人とする資料もある[6]

出火日時は当初は日本時間午前3時24分頃とされていたが[4]、ホテルニュージャパン火災上告審判決では午前3時16分から17分頃としている[1](裁判記録等をもとにした調査研究では午前3時24分から26分には既に第1次フラッシュオーバーが発生していたとみられる[6])。出火場所は9階938号室のベッド付近でイギリス人男性が宿泊中だったが、寝タバコの火の不始末が原因で出火したものと推定されている[4][2][7]。吸殻の放置が原因でベッドの毛布または敷布が着火物とされている[4]。なお、この失火者のイギリス人男性はドアから廊下には避難していたが、後に死亡が確認されている[7][8]

火災を発見したのはフロント係の一人で、仮眠をとるためエレベーターを使って9階で降りたところ、煙の臭いを感じ、938号室のドアの隙間から煙が噴き出しているのを発見した[4]。火災を発見したフロント係は1階におりて、他のフロント係2人に必要事項を指示した[4]

消防機関の覚知日時は午前3時39分頃で119番通報によるものであった[4][5]、ただし、最初に消防機関に通報したのはホテルの従業員ではなく、通りがかりのタクシー運転手だった[7]。また第2報も近くにある議員宿舎の人からで、同じく午前3時39分台になされたものだった[3]。ホテルでは従業員のうち火災を発見したフロント係から必要事項の指示を受けたうちの1人が消防機関に通報したが[4]、従業員は社長から叱責されるのを恐れており、従業員からの通報は発見から20分も後だった[7]
初期消火の状況

火災を発見したフロント係はルームサービス係とともにエレベーターで9階に行き、エレベーターホールに設置されていた消火器を持って938号室で使用したものの消火できなかった[4]。フロント係は1階フロントに戻ってから再び9階に行き、屋内消火栓設備の起動ボタンを押したが作動しなかったとされた[4]。しかし、後述のように、その後の裁判記録等をもとにした調査研究では、実際には開栓できたものの水圧に押されてホースを取り落としたため使用を断念したことがわかっている[6]。初期消火の失敗により、以後、従業員による組織だった消火活動は行われなかった[4]

出火当時、10階には27人、9階に76人、8階以下に249人の宿泊客がいた[4]。しかし、館内放送による火災の報知は行われなかった[7]。9階では火災を発見したフロント係が廊下に出ていた数名の客をエレベーターで避難させ、続いて到着したガードマンがサービスステーション前にいた数名の客を避難階段に誘導した[4]。10階では別のガードマンが廊下にいた数名の客を階段で避難させ、フロント係が2名を階段に誘導した[4]。しかし、出火当時、従業員等による避難誘導はほとんど行われなかった[8]

消防隊の到着時には9階が延焼中で取り残された多数の宿泊客が窓などから救助を求めており[4]、繋いだシーツをロープ代わりにして降りようとする宿泊客もいた[7]。しかし、熱さに耐えきれずに数人が飛び降りる状況で[5]、この火災による死者33人のうち13人が窓から飛び降りて亡くなった[2](転落死者数については9階から11人、10階から3人とする資料もある[6])。
消防の対応

第一陣として麹町消防署永田町出張所第11特別救助隊(通称オレンジ、隊長・高野甲子雄)が出動した[5]。第11特別救助隊は守衛の案内で9階に到着したが、非常口のドアが熱で変形して動かせず、屋上に上がり素手で4人を引き上げて救助した[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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