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やノートページでの議論にご協力ください。『ホツマツタヱ』は、「ヲシテ」なる「文字」(いわゆる「神代文字」の一つである)を使っているいわゆる「ヲシテ文献」のひとつ。『古事記』『日本書紀』の原書であると根強く考える者も一部に存在する[1]。
五七調の長歌体で記され、全40アヤ(章)・10700行余で構成された、肯定派の研究者によれば記紀の「原書」であるという、いわゆる「古史古伝」のひとつである。その成立時期は、記紀との内容比較から『古事記』『日本書紀』よりも古いという主張もあるが、写本の出現時期などからは少なく見積もった場合、江戸時代中期までしか遡れない。『春日山紀』(安永8年、1779)の存在による[2](『春日山紀』は、江戸時代当時の木版活版での印刷出版物である。岩波書店版『国書総目録』に記載あり)。 『ホツマツタヱ』の成立時期は不詳であるが、安永8年版と安永9年版の二種類の版本が『春日山紀』にある。『春日山紀』には、『ホツマツタヱ』の40アヤの各所からの引用文がヲシテ文字の原文で縦横に掲載されている。 文献全体の包括的な史料批判は、池田満によって『定本ホツマツタヱ』(展望社)が上梓されて、『古事記』『日本書紀』との原文の内容比較がなされている。また、『日本書紀』『古事記』との、内容比較においてどう判断してゆくかは、『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社)によって公表されている。また、『ホツマツタヱ』などの内容についての総合的な解説は『ホツマ辞典』(池田満、展望社)によって、年表や、系図も付録されて詳しく公表されている。 『ホツマツタヱ』には、複数の写本が現存している。幾つかの写本では「ホツマツタへ」「ホツマツタエ」とも、また漢訳されて「秀真伝」「秀真政伝紀」とも表記されている。[3]『ホツマツタヱ』と同様の文字による古文書である『ミカサフミ』(「三笠紀」)『フトマニ』(「太占」)も発見されている。この3書に使われている文字は同一で、文書の中では「ヲシテ」と呼ばれている。 更に『よみがえる日本語?ことばのみなもと「ヲシテ」』(池田 満・青木 純雄・平岡 憲人 明治書院)や『よみがえる日本語II?助詞のみなもと「ヲシテ」』(池田 満・青木 純雄・斯波 克幸)の出版を受けて、さらにその勢いは増しつつある。 諸写本の微妙な文字の違いの校異の表記、『古事記』『日本書紀』と『ホツマツタヱ』の3書比較、『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『カクのフミ(フトマニなど)』の総合的な研究とその本来のあるべき姿への復権が進められつつある(参考図書を参照のこと)。
概要
ホツマツタヱの文字と類似文献