ホット・ホット・ヒート
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ホット・ホット・ヒート
Hot Hot Heat
Hot Hot Heat 2007年
基本情報
出身地 カナダ ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア
ジャンルオルタナティヴ・ロックインディー・ロックダンス・パンクニュー・ウェイヴ[1]ポストパンク・リバイバル
活動期間1999年 - 2016年
レーベルSub Pop、Dangerbird、Dine Alone、SireWarner Bros.
公式サイトHotHotHeat.com

旧メンバースティーヴ・ベイズ
ポール・ハウリー
ルーク・パキン
ルイス・ハーン
ダンテ・デカーロ
ダスティン・ホーソーン
マシュー・マーニック
パーカー・ボスレー

ホット・ホット・ヒート(Hot Hot Heat)は、1999年に結成し2016年に解散したカナダブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア出身のロックバンド。英語では「HHH」と略すことがある。

2001年にシアトルのレーベル、サブ・ポップと契約し、翌年にEP『Knock Knock Knock』とデビューアルバム『Make Up the Breakdown』をリリースした。バンドはワーナー・ブラザース・レコードと契約し2作目のアルバム『Elevator』(2005年)でメジャーデビューを果たす。その後は3作目『Happiness Ltd.』(2007年)、4作目『Future Breeds』(2010年)をリリース。しばらく活動が縮小した後、5作目『Hot Hot Heat』(2016年)を発表し解散した。音楽的にはエレクトロニックや伝統楽器を駆使したメロディアスでキャッチーなスタイルで、ダンス・パンクポストパンク・リバイバルニューウェーブアートパンクなど様々なジャンルに分類されている。
バイオグラフィー
結成(1999年?2000年)ライブでのスティーヴ・ベイズ(2011年)

1995年以来いくつかのバンドで一緒だったホーソーンとベイズが1998年にハウリーと出会う。1999年にハウリーがキーボードを買ったのをきっかけに、唯一キーボードを演奏できるベイズがキーボードを担当し、ハウリーはベイズの代わりにドラムを担当、ホーソーンがベースを担当することになった。バンドメンバーの友人のマシュー・マーニックがボーカルとして加わる。この頃のバンドの音はシンセ・パンクと呼ぶことができる。

後にポップ・ミュージックに影響を受けたHHHはメロディー重視の音に転換した。ボーカルのマーニックが脱退し、ギターとしてデカーロが加入する。XTCザ・クラッシュ(The Clash)、エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)やThe Attractionsなどの1980年代ニュー・ウェイヴに強く影響されたバンドはベイズをボーカルに置き、7つのシングルを発表し、カナダとアメリカの北西太平洋地域をLes Savy Fav、The French Kicks、Radio 4、Ima Robot、Pretty Girls Make Gravesらとツアーした。カナダ人バンドSloanのカナダ・ツアーのオープニングも務めた。
デビュー(2001年?2004年)ライブで演奏するルイス・ハーン(2011年)

このツアーにより、シアトル拠点のインディペンデントレコード・レーベルサブ・ポップから注目され、2001年にレコード契約を果たした。翌2002年、デス・キャブ・フォー・キューティー(Death Cab for Cutie)のクリス・ワラ(Chris Walla)プロデュースによるEP『Knock Knock Knock』(ノック・ノック・ノック)を発表。この頃には、後にダンス・パンクと知られるようになるサウンドに変貌を遂げていた。翌年にはインディーズで爆発したサウンドの先駆者と評されている。[2]

EP発表後間もなくして初のフル・アルバム『Make Up the Breakdown』をリリース。ニルヴァーナサウンドガーデンを出がけたジャック・エディノ(Jack Edino)によりプロデュースされた。このアルバムはすぐに評論家に高く評価され、シングル『Bandages』と『Talk to Me, Dance With Me』がMTVやラジオで流されるようになり、ロスアンゼルスの人気ラジオ局KROQで両シングルは1位を獲得。他方、イギリスではシングル『Bandages』がチャートで25位までしか届かなかった。これは、この曲がイラク戦争への配慮からBBCラジオのヘビー・プレイ・リストから外されたためと考えられている。同曲の広報によると「Bandages(包帯)という歌詞が繰り返し使用されている」[3]ことによるという。

2003年にはサブ・ポップ契約前にレコーディングした楽曲を集めた2001年のアルバム『Scenes One Through Thirteen』をOHEVレコーズのレーベルで再リリース。これは結成当初からデビューまでのバンドの移行期の音を集めたものであり、『Knock Knock Knock』と『Make Up the Breakdown』とかなり違うサウンドであった。

『Make Up the Breakdown』は一般投票により、2004年のカナダ・インディペンデント音楽賞で「最も好きなアルバム賞」を受賞。2004年10月にはギター担当のデカーロが次のアルバムのレコーディングをもって脱退を表明し、2005年にモントリオールのバンド「ウルフ・パレード(Wolf Parade)」に加入した。
メジャー・デビュー、解散(2005年?2016年)ライブで歌うスティーヴ・ベイズ(2011年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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