1969 - 1971年のテレビアニメについては「ホットウィール (テレビアニメ)」をご覧ください。
フェラーリ・F1-2000
ホットウィール (英語:Hot Wheels) は、アメリカの玩具メーカーマテルのミニカーブランド。 アメリカのマテルが1968年9月7日に発表した亜鉛合金製ダイキャスト成型のミニカーシリーズである。3インチサイズのモデルを中心に1/18スケールや1/43スケールの製品が存在する。 ホットウィールのロゴは当時マテルに在籍していたカリフォルニアのアーティスト リック・アイアンズ (Rick Irons) が手掛けたものである。 それまでのミニカーが造形や車内など、実車を忠実に再現している模型的要素が強かったのに対し、ホットウィールは玩具として見た目の『かっこよさ』を前提としたのが最大の特徴である。そのため車種のほとんどが派手な外板塗装やエアロパーツ、ボンネットからはみ出たv8エンジンなどが装備されているほか、極端なデフォルメを行ったものもある。 発売当初は『世界一速いミニカー』というキャッチコピーを使っており、ほとんどの車種が高速走行にも対応できるプラスチック製の幅広いホイールを履いていた。また、車体が弾むほどの強いピアノ線で車軸を作っている。アクロバット走行や高速走行のできるレーシングコースも発売されている。 発売から50年近く経つ現在も高い人気を誇っており、デザイナーとの交流会やコレクターズミーティングといったイベントが世界各地で行われており、ホットウィールオリジナルデザインのミニカーを実車で製作するファンも現れている[1]。また、幼児向けのミニカーブランドでは珍しくカスタムを容認する姿勢を見せており、メーカー公認のカスタムコンテストも開催されている。 日本では、国際貿易取扱時代に「ホットホイール」、バンダイ取扱時代に「ホットウィール」とパッケージに表記されたため、この両者を呼称することが多い。(しかしながら商品名としては「ホットウィール」が定着した2023年現在販売されている日産・マキシマ ドリフトカーなど、一部の車種にグラフィックスの一環として「ホットホイール」との表記が見られる。) 1960年代後半、女の子向け玩具のジャンルにおいて既にバービー人形で大成功を収めていたアメリカ・マテル社は、次のステップとして男の子向けのミニカーを企画していた。3インチサイズのミニカーにおいては当時既にイギリス・レズニー社の『マッチボックス』が圧倒的なシェアを誇っており、ヨーロッパの老舗ブランドに真っ向から立ち向かうため、デビューの1年以上前から入念にプロジェクトが進められた。 アメリカ流のスタイルを前面に押し出す為、元ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー) の優秀なデザイナーが集められ、アメリカ特有のモーターカルチャーであるホットロッドをモチーフにした「カリフォルニアルック」という商品コンセプトを打ち出した。これにより、派手なキャンディーペイントを施したボディーやボンネットから飛び出したエンジン等、どの他社製品にも似ていない強烈なスタイルのミニカーが生み出された。 また、「他社製の何よりも速く走るミニカー」というそれまで他社があまり重要視しなかった走行性能に着目し、摩擦抵抗の少ない細いピアノ線を使用した車軸とサスペンションを採用、圧倒的な走行性能は最大のセールスポイントとなった。こうして1968年9月7日にデビューした「ホットウィール」は、アメリカ国内でテレビコマーシャルに1000万ドルを投じて前述の特徴をアピールした広告展開を行いアメリカのみならず世界中でヒットし、競合他社にも多大な影響を与えることとなる。 1968年、最初のシリーズとして16車種が発売された。殆どのモデルに「スペクトラフレーム」と呼ばれるキャンディーペイントのボディーカラーと、「レッドライン」と呼ばれる赤いストライプの入ったタイヤを採用していたのがこの時期の特徴である。題材となる車種は、当時流行していたマッスルカーやショーロッド系のコンセプトカーが多い。派生シリーズとして、1969年にレーシングカーを揃えた「グランプリシリーズ」、1970年にドラッグレース用マシンを揃えた「スポイラーズ」、1971年にトラック等の商用車を揃えた「ヘビーウェイツ」がそれぞれスタートした。1971年までは全てのモデルに「コレクターズボタン」という、各車種のイラストが描かれたブリキ製のバッジが付属していた。 1970年と1971年に、マテルはホットウィールのプロモーションとしてNHRAのファニーカーやレーシングドライバーのダン・ガーニーへスポンサードを行った。当時ドラッグレースの世界で企業スポンサーがつくのは珍しく、結果的にマテルはファニーカーを初めてスポンサードした企業となった。 1973年、大きな特徴の1つであったスペクトラフレームが廃止され、ラインナップの全種がエナメルペイントとなった。この時期は一時的な販売不振に陥っており、手間のかかる工程のスペクトラフレームはコスト削減の対象になったといわれている。新金型の投入も、過去最低の僅か3種にとどまった。また、この年に登場したモデルは翌年以降リリースされなかった為、コレクターの間では珍重されている。 1974年、ボディーに直接グラフィックを印刷するタンポという手法を初めて採用したシリーズ「フライングカラーズ」がスタートした。シリーズ初期のモデルには、製造工程上の都合や特定の塗料のストックが多くなってしまったという理由により、本来は予定になかった色で塗られたものが少数存在する。これらはコレクターの間で「オルターネイトカラー」と呼ばれ、珍重されている。 1976年からレッドラインのタイヤは徐々に使われなくなり、1978年には廃止された。以後の黒いタイヤにマグホイールの組み合わせは、「ブラックウォール」と呼ばれている。1979年頃には刺繍ワッペンが貰える「パッチオファー」というキャンペーンが展開され、フライングカラーズのモデルが専用パッケージに入れて販売された。 派生シリーズとして、1976年に人気モデルをクロームメッキに塗装した「スーパークロームス」、1979年にマーベル・コミックのキャラクターをボディーに描いた「ヒーローズ」、車内にフィルムを搭載し、レンズ付きのリアガラスから覗くとそれぞれの場面を見ることができる「シーンマシンズ」が登場している。この時期のモデルはホットロッドやレーシングカーの他、当時流行していたカスタムバンを題材にしたものも多い。 1980年代に入ると数々の派生シリーズが誕生し、ラインナップの多様化が目立つようになる。
概要
歴史
1968年 - 1972年
1973年
1974年 - 1979年
1980年 - 1986年
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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