ホットウィール
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ホットウィール (英語: Hot Wheels) は、アメリカの玩具メーカーマテルミニカーブランド。
目次

1 概要

2 歴史

2.1 1968年 - 1972年

2.2 1973年

2.3 1974年 - 1979年

2.4 1980年 - 1986年

2.5 1987年 - 1989年

2.6 1990年代

2.7 2000年代


3 他社への影響

4 日本での展開

5 製品

5.1 ベーシックカー

5.1.1 ファーストエディション

5.1.2 トレジャーハント

5.1.3 セグメントシリーズ


5.2 プロダクトライン

5.3 ミステリーカー

5.4 5-Pack

5.5 プレイセット

5.6 レトロエンターテイメント

5.7 キャラウィール


6 脚注

7 関連項目

8 参考文献

概要

アメリカのマテルが1968年9月7日に発表した亜鉛合金製ダイキャスト成型のミニカーシリーズである。高速ホイールを履いた3インチサイズのモデルを中心に1/18スケールや1/43スケールの製品が存在する。

ホットウィールのロゴは当時マテルに在籍していたカリフォルニアのアーティスト リック・アイアンズ (Rick Irons) が手掛けたものである。

それまでのミニカーが造形や車内など、実車を忠実に再現している模型的要素が強かったのに対し、ホットウィールは玩具として見た目の『かっこよさ』を前提としたのが最大の特徴である。そのため車種のほとんどが派手な外板塗装やエアロパーツが装備されているほか、極端なデフォルメを行ったものもある。

発売当初は『世界一速いミニカー』というキャッチコピーを使っており、ほとんどの車種が高速走行にも対応できるプラスチック製の幅広いホイールを履いていた。また、車体が弾むほどの強いピアノ線で車軸を作っている。アクロバット走行や高速走行のできるレーシングコースも発売されている。

発売から50年近く経つ現在も高い人気を誇っており、デザイナーとの交流会やカスタムコンテスト、コレクターズミーティングといったイベントが世界各地で行われている。また、ホットウィールオリジナルデザインのミニカーを実車で製作するファンも現れている[1]

日本では、國際貿易取扱時代に「ホットホイール」、バンダイ取扱時代に「ホットウィール」とパッケージに表記されたため、この両者を呼称することが多い。
歴史

1960年代後半、女の子向け玩具のジャンルにおいて既にバービー人形で大成功を収めていたアメリカ・マテル社は、次のステップとして男の子向けのミニカーを企画していた。3インチサイズのミニカーにおいては当時既にイギリス・レズニー社の『マッチボックス』が圧倒的なシェアを誇っており、ヨーロッパの老舗ブランドに真っ向から立ち向かうため、デビューの1年以上前から入念にプロジェクトが進められた。

アメリカ流のスタイルを前面に押し出す為、元ビッグスリーGMフォードクライスラー) の優秀なデザイナーが集められ、アメリカ特有のモーターカルチャーであるホットロッドをモチーフにした「カリフォルニアルック」という商品コンセプトを打ち出した。これにより、派手なキャンディーペイントを施したボディーやボンネットから飛び出したエンジン等、どの他社製品にも似ていない強烈なスタイルのミニカーが生み出された。

また、「他社製の何よりも速く走るミニカー」というそれまで他社があまり重要視しなかった走行性能に着目し、摩擦抵抗の少ない細いピアノ線を使用した車軸とサスペンションを採用、圧倒的な走行性能は最大のセールスポイントとなった。こうして1968年9月7日にデビューした「ホットウィール」は、アメリカ国内でテレビコマーシャルに1000万ドルを投じて前述の特徴をアピールした広告展開を行いアメリカのみならず世界中でヒットし、競合他社にも多大な影響を与えることとなる。
1968年 - 1972年

1968年、最初のシリーズとして16車種が発売された。殆どのモデルに「スペクトラフレーム」と呼ばれるキャンディーペイントのボディーカラーと、「レッドライン」と呼ばれる赤いストライプの入ったタイヤを採用していたのがこの時期の特徴である。題材となる車種は、当時流行していたマッスルカーやショーロッド系のコンセプトカーが多い。派生シリーズとして、1969年にレーシングカーを揃えた「グランプリシリーズ」、1970年ドラッグレース用マシンを揃えた「スポイラーズ」、1971年にトラック等の商用車を揃えた「ヘビーウェイツ」がそれぞれスタートした。1971年までは全てのモデルに「コレクターズボタン」という、各車種のイラストが描かれたブリキ製のバッジが付属していた。

1970年1971年に、マテルはホットウィールのプロモーションとしてNHRAのファニーカーやレーシングドライバーのダン・ガーニーへスポンサードを行った。当時ドラッグレースの世界で企業スポンサーがつくのは珍しく、結果的にマテルはファニーカーを初めてスポンサードした企業となった。
1973年

1973年、大きな特徴の1つであったスペクトラフレームが廃止され、ラインナップの全種がエナメルペイントとなった。この時期は一時的な販売不振に陥っており、手間のかかる工程のスペクトラフレームはコスト削減の対象になったといわれている。新金型の投入も、過去最低の僅か3種にとどまった。また、この年に登場したモデルは翌年以降リリースされなかった為、コレクターの間では珍重されている。
1974年 - 1979年

1974年、ボディーに直接グラフィックを印刷するタンポという手法を初めて採用したシリーズ「フライングカラーズ」がスタートした。シリーズ初期のモデルには、製造工程上の都合や特定の塗料のストックが多くなってしまったという理由により、本来は予定になかった色で塗られたものが少数存在する。これらはコレクターの間で「オルターネイトカラー」と呼ばれ、珍重されている。

1976年からレッドラインのタイヤは徐々に使われなくなり、1978年には廃止された。以後の黒いタイヤにマグホイールの組み合わせは、「ブラックウォール」と呼ばれている。1979年頃には刺繍ワッペンが貰える「パッチオファー」というキャンペーンが展開され、フライングカラーズのモデルが専用パッケージに入れて販売された。

派生シリーズとして、1976年に人気モデルをクロームメッキに塗装した「スーパークロームス」、1979年マーベルコミックのキャラクターをボディーに描いた「ヒーローズ」、車内にフィルムを搭載し、レンズ付きのリアガラスから覗くとそれぞれの場面を見ることができる「シーンマシンズ」が登場している。この時期のモデルはホットロッドやレーシングカーの他、当時流行していたカスタムバンを題材にしたものも多い。
1980年 - 1986年

1980年代に入ると数々の派生シリーズが誕生し、ラインナップの多様化が目立つようになる。特徴的なギミックを搭載したものが多く、1980年にリアの車高調節ができる「ハイレイカーズ」、1984年に衝撃を与えるとボディーの一部が180度回転し、衝突で凹んだ状態が再現される「クラックアップス」が登場。1986年にも、クラックアップスと同様に衝撃を与えると車体がひっくり返る「フリップアウツ」が登場している。

その他の派生シリーズとしては、1981年に従来のモデルよりも更に走行性能を追求した「ホットワンズ」、同年に商用車を集めた「ワークホーシス」、1983年にゴム製タイヤを採用した「リアルライダーズ」、1984年にホットワンズと同様の特徴を持つ「ウルトラホッツ」、1985年に軍用車を集めた「アクションコマンド」、1986年に動物やロボットを題材にした車両を集めた「スピードデモンズ」などが挙げられる。

それぞれのシリーズには専用パッケージも与えられていたが、このような多様なシリーズ展開は1986年を最後に整理された。この時期のモデルはサブコンパクトカーやトラック、バス等が多く、1970年代までホットウィールの代表格であったホットロッドは若干影が薄れた。日本車を題材にしたモデルが増えたのもこの頃である。
1987年 - 1989年

1987年、多様化を極めた派生シリーズは整理され、「ワークホーシス」、「アクションコマンド」、「スピードデモンズ」が残り、スポーツカーやレーシングカーを集めた「スピードフリート」、クラシックカーを集めた「クラシックス」、オフロード車を集めた「トレイルバスターズ」の3シリーズが新たに登場した。派生シリーズとして、1989年に専用モデルとナンバープレート型のプラスチック製ケースがセットになった「パーキンプレーツ」が登場している。この時期のモデルでは、再びホットロッドやコンセプトカーが目立ちはじめている。
1990年代

1999年フェラーリとの版権を独占契約し、これ以降フェラーリの3インチ玩具ミニカーでは新車を含め同ブランドの独占状態が2014年まで続くことになる。日本では大手玩具メーカーのバンダイと提携して正規の輸入を再開。輸入品以外では特撮番組やアニメ番組に登場する車両をモデル化した『キャラウィール』が販売されていた。


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