ホッケンハイム
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区:カールスルーエ行政管区
郡:ライン=ネッカー郡
市町村連合体:ホッケンハイム行政共同体
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度19分05秒 東経08度32分50秒 / 北緯49.31806度 東経8.54722度 / 49.31806; 8.54722座標: 北緯49度19分05秒 東経08度32分50秒 / 北緯49.31806度 東経8.54722度 / 49.31806; 8.54722
標高:海抜 102 m
面積:34.84 km2
人口:

21,620人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:621 人/km2
郵便番号:68766
市外局番:06205
ナンバープレート:HD
自治体コード:

08 2 26 032
行政庁舎の住所:Rathausstrase 1
68766 Hockenheim
ウェブサイト:hockenheim.de
首長:マルクス・ツァイトラー (Marcus Zeitler)
郡内の位置

地図

ホッケンハイム (ドイツ語: Hockenheim, ドイツ語発音: [?h?kn?ha?im][2]) は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡に属す都市。同名のレーシング・サーキットホッケンハイムリンク」の所在地である。マンハイムの南約20kmのバーデン=ヴュルテンベルク州北西部に位置する。ライン=ネッカー郡に6つある大規模郡都市の一つで、マンハイム上級中心地区の管轄下にあるシュヴェツィンゲン中級中心地区に属す。

ホッケンハイムは2001年1月1日に大規模郡都市となった。ホッケンハイムは隣接するアルトルスハイムノイルスハイムライリンゲンとともに行政共同体を形成している。
地理

ホッケンハイムは、オーバーライン地溝帯内の、フランクフルト・アム・マインからバーゼルに至る通商路沿いに位置する。市域を貫いて流れるクライヒバッハ川が、市域を広い東部地域と狭い西部地域に分割し、ホッケンハイムにほど近いケッチュライン川に合流する。
隣接する市町村

以下の市町村がホッケンハイム市に隣接する。北から時計回りに、ケッチュシュヴェツィンゲンオフタースハイムライメン(ザントハウゼン西の飛び地)、ライリンゲンノイルスハイムアルトルスハイム(以上、いずれもライン=ネッカー郡)。市の西側はライン川がラインラント=プファルツ州との天然の境界をなし、これをはさんで、シュパイアーおよびヴァルトゼー連合自治体に属すオッターシュタットと向かい合う。
市の構成

ホッケンハイム市には、ゲマインデ(自治体)はない。つまり、市域は比較的よく統一されており、単に統計上の目的で5つの市域に分けられている。時に、たとえばライン川沿いの入植地ジーゲルハインのように固有の名前をもつ居住区で識別される場合もある。
歴史

ホッケンハイムの起源は769年に遡る。ロルシュ文書の贈与証明書に Ochinheimの名前で登場する。この村はその後、Hochinheim、Hochkinheim、Hochenheimなどと表記されている。行政記録、史料、土地台帳などに記録されたホッケンハイムの名前は、何世紀もの間に Hocgenheim、Hokkinheim、Hokenheim、Hockenaw Heidelberger amps、Hochekein、Hogckna、Hockenau、Hockenaw、Hoggenaといった具合に様々に変化し、Ockenaという表記すらある。Hockenheimという名前は、1238年になって初めて現れた。

中世には、ホッケンハイムは長い間シュパイアー司教の高権下にあった。1462年プファルツ選帝侯の入植地となった。

17世紀にフランス人がこの地方にタバコをもたらした。それ以前は、この地域では、特にホップが栽培されていた。1803年にこの町はバーデン領となり、シュヴェツィンゲン管区の管轄下に置かれた。同じ頃にインズルトハイム地区を併せて町域が拡大した。

19世紀のタバコ栽培は、1860年、この地域でのタバコ工場開業に寄与した。1879年にこの町は、ライン川の直線化のために町域の一部を提供しなければならなかった。この町は、その後再び発展を続け、1895年7月22日にバーデン大公フリードリヒ1世によって都市権を授与された。20世紀の初めには、アスパラガス栽培がホップ栽培に取って代わった。

シュヴェツィンゲン地方管区庁が廃止されると、1924年にこの新しい都市はマンハイム管区に属し、1938年にこの管区はマンハイム郡に改組された。1929年と1931年に、この都市は無人の森林地域(シュヴェツィンガー・ハルト)を併合し拡大した。ホッケンハイムリンクは、1932年5月29日にサーキットとしてオープンした。

第二次世界大戦後、タバコ工場の衰退が始まった。やがて、この都市はホッケンハイムリンクの街として知られるようになっていった。1973年1月1日にマンハイム郡は廃止され、ホッケンハイム市は新たに設けられたライン=ネッカー郡に編入された。

1991年にホッケンハイムは、第11回バーデン=ヴュルテンベルク州庭園博の開催地となった。

1999年に人口2万人を超え、市が申請した大規模郡都市への昇格は、2001年1月1日にバーデン=ヴュルテンベルク州当局によって発効した。
宗教プロテスタント教会

ホッケンハイムは、初めシュパイアー司教区に属した。全プファルツ選帝侯領と同様に、ホッケンハイムにも宗教改革がもたらされ、1547年からわずかの間に信仰の改革がなされた。しかし、その後もカトリックの信仰は残った。プファルツ選帝侯領の宗教分離に際し、1707年にホッケンハイムの聖ゲオルク教会はカトリックに明け渡され、ホッケンハイムの改革派は、隣接するライリンゲンの教会に所属することとなった。ホッケンハイムの教会組織は1866年までライリンゲンの教会支部の扱いであったが、この年に完全に独立した。1905年から1907年に教会組織は、自らの教会堂を建設した。この教会は、1910年から1911年に完成したネオバロック建築の教会堂で、市の中心部マルクト広場に面して建っている。現在のプロテスタント市教会である。この教会は、まずオーバーハイデルベルク教区に属し、後にシュヴェツィンゲン教区に移った。この教会組織に属す信者は7,000人を越えるが、分離・独立されていない。教会組織はルターハウスを本拠として、定期的に集会を行っている。カトリック教会

ホッケンハイムのカトリック教会は、1707年から、この都市の唯一の教会であった聖ゲオルク教会を獲得していた。この司祭区は初めシュパイアー司教区に属したが、1821年から1927年まで、新たに創設されたフライブルク大司教区に所属し、ザンクト・レオン主席司祭管区におかれた。1899年にフィリップスブルク主席司祭管区に移された。1906年に、それまでの教会が公民館として使われることとなり、教会は新しい教会堂を建設した。1960年にシュヴェツィンゲン主席司祭管区が新たに設けられ、ホッケンハイムの聖ゲオルク教区はこの主席司祭管区の一部となったが、1976年にはこの主席司祭館区は再び廃止された。これ以後、この司祭区は、ヴィースロッホ主席司祭管区に属している。ホッケンハイム聖ゲオルク教区は、隣接するノイルスハイム、ライリンゲンの教会とともに、ホッケンハイム司牧連合を形成している。

ホッケンハイムには、これら二大教会の他に自由教会やその他のキリスト教組織がある。福音派メソジスト教会もその一つで、19世紀の後半にはすでにウンテーレン・ミュール通りにあった建物で祭事を行っていた。1958年から1959年には現在のキリスト教会が建設され、独自の福音派教会組織を有している。

さらに、ホッケンハイムには、2002年に建設された新使徒派教会もある。組織は、1951年からすでに形成されていた。

イスラム教の教団組織は、タールハウスにモスクを有している。この他に、Turkisch-Islamischen Verein Hockenheim und Umgebung e.V. (ホッケンハイムおよびその周辺地域のトルコ=イスラム連合)という組織もある。
人口推移1786年から2015年までの人口推移グラフ
行政ホッケンハイム市庁舎
首長

第二次世界大戦後の市長(2001年以後は上級市長)を以下に列記する。

1945年: ルートヴィヒ・グライン(委任)

1945年: フリードリヒ・シュペッカート(委任)

1945年 ? 1958年: フランツ・フント(1948年までは、委任)

1958年 ? 1978年: クルト・ブフター


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