この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はロドリゲス、第二姓(母方の姓)はリマです。
ホセ・リマ
Jose Limaロサンゼルス・ドジャース時代
(2004年5月16日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地サンティアゴ
生年月日 (1972-09-30) 1972年9月30日
没年月日 (2010-05-23) 2010年5月23日(37歳没)
身長
体重6' 2" =約188 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1989年
初出場MLB / 1994年4月20日
KBO / 2008年3月29日
最終出場MLB / 2006年7月7日
KBO / 2008年6月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
サンティアゴ高等学校
デトロイト・タイガース (1994 - 1996)
ヒューストン・アストロズ (1997 - 2001)
デトロイト・タイガース (2001 - 2002)
ニューアーク・ベアーズ (2003)
カンザスシティ・ロイヤルズ (2003)
ロサンゼルス・ドジャース (2004)
カンザスシティ・ロイヤルズ (2005)
ニューヨーク・メッツ (2006)
起亜タイガース (2008)
ロングビーチ・アーマダ
ホセ・デシデリオ・ロドリゲス・リマ(Jose Desiderio Rodriguez Lima, 1972年9月30日 - 2010年5月23日)は、ドミニカ共和国サンティアゴ出身のプロ野球選手(投手)。目次 1989年7月5日、16歳でデトロイト・タイガースと契約。1994年4月20日にメジャーデビュー。 タイガース時代はスタミナ不足で伸び悩み、メジャーとマイナーを往復。 1996年オフにトッド・ジョーンズ、ブライアン・ハンター、ダグ・ブロケイル、オーランド・ミラーとの4対5の大型トレードでブラッド・オースマス、クリストファー・ニコースキー、トレバー・ミラー、ダリル・ウォード
1 経歴
2 投球スタイル
3 詳細情報
3.1 年度別投手成績
3.2 年度別守備成績
3.3 記録
4 脚注
5 外部リンク
経歴
移籍2年目の1998年に先発ローテーション入りし、16勝を挙げる大活躍。さらに翌1999年にはリーグ2位の21勝を挙げ(最多勝は同僚のマイク・ハンプトン)、MLBオールスターゲームに出場。
しかし、本拠地がアストロドームからエンロン・フィールド(現:ミニッツメイド・パーク)に移転した2000年は、7勝16敗、防御率6.65、リーグワーストの145自責点と大不振に陥り、さらに新本拠地は本塁打が出やすいためか、リーグワーストの48被本塁打を献上した。2001年6月4日、デーブ・マリッキーとの交換で古巣のタイガースへ復帰したが、ここでも不振が続き、2002年9月22日に解雇された。
2003年はアメリカ独立リーグのニューアーク・ベアーズで開幕を迎えたが、6月4日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約した。
2004年1月28日、ロサンゼルス・ドジャースに移籍。野茂英雄、石井一久と同僚となった。13勝を挙げ、復活を果たし、地区優勝に貢献。セントルイス・カージナルスとの地区シリーズでは完封勝利した。
2005年はロイヤルズに復帰。開幕投手を任されたが、5勝16敗、防御率6.99、リーグワーストの131自責点という散々な成績に終わった。
2006年、ニューヨーク・メッツとマイナー契約し、メジャー昇格するものの4試合登板で4敗に終わった。
その後、メジャーの球団と契約することなく、メキシカンリーグやドミニカウィンターリーグ、韓国の起亜タイガース、ゴールデンベースボールリーグのロングビーチ・アーマダでプレーした。
2010年5月23日、心臓発作のためアメリカ合衆国カリフォルニア州パサディナの自宅で死去[1][2]。37歳だった。 年
投球スタイルが望まれています。
詳細情報
年度別投手成績
度球
団登
板先
発完
投完
封無
四
球勝
利敗
戦セ
h
ブホ
h
ル
ド勝
率打
者投
球
回被
安
打被
本
塁
打与
四
球敬
遠与
死
球奪
三
振暴
投ボ
h
ク失
点自
責
点防
御
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H
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