この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はマシーアス、第二姓(母方の姓)はサラサールです。
ホセ・マシーアス
Jose Macias基本情報
国籍 パナマ
出身地パナマ市
生年月日 (1972-01-25) 1972年1月25日(48歳)
身長
体重5' 10" =約177.8 cm
189 lb =約85.7 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション三塁手、二塁手、外野手
プロ入り1992年
初出場MLB / 1999年5月12日
NPB / 2006年3月25日
最終出場MLB / 2005年10月2日
NPB / 2006年10月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
テクノロジコ高等学校
デトロイト・タイガース (1999 - 2002)
モントリオール・エクスポズ (2002 - 2003)
シカゴ・カブス (2004 - 2005)
北海道日本ハムファイターズ (2006)
メキシコシティ・レッドデビルズ (2008)
カンペチェ・パイレーツ (2009 - 2010)
国際大会
代表チーム パナマ代表
WBC2013年
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ホセ・プラド・マシーアス・サラサール(Jose Prado Macias Salazar , 1972年1月25日 - )は、パナマ共和国パナマ市出身の元プロ野球選手(内野手)。目次 テクノロジコ高校を卒業後、自動車整備工として勤務していたが、野球を続けるためアメリカに渡る。 1992年、デトロイト・タイガースに入団。1999年、メジャー初昇格。 2002年から2003年にモントリオール・エクスポズに在籍。 2004年からシカゴ・カブスでプレーし、2005年に放出された。 2006年に北海道日本ハムファイターズに入団。スイッチヒッターで、二塁18試合、三塁32試合、外野23試合とさまざまなポジションを守った。 開幕当初は1番打者だったが、2番だった森本稀哲の調子が上がってくると交代して2番に入る。しかし2番も田中賢介の活躍があり、シーズン中盤以降は下位打線を固めることが増えた。チームのムードメーカーであり、ファンサービスにも旺盛だった。また、守備前のキャッチボールでは自ら率先して外野手とのキャッチボールを買って出ていた。 福岡ソフトバンクホークスとの最終戦では、レフト線へ二塁打を放ち、チームのシーズン1位を決定付けた。また、ソフトバンクとのプレーオフ初戦においては三塁手として出場し、山崎勝己のバント失敗の打球をダイビングキャッチで好捕するなど勝利に貢献した。 2006年のレギュラーシーズン1位通過、リーグ制覇、日本一のそれぞれの合同記者会見では回答者が変わる毎に背後に忍びよりサングラスをして腕組みをして積極的にカメラに映っていたが、10月29日に戦力外通告を受け、退団。 2007年にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約し、3Aナッシュビルでプレー。 2008年1月5日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結ぶが、スプリング・トレーニングで解雇される。 2009年は同リーグ南地区のカンペチェでプレー。2シーズンともに3割を大きく超える好成績を残す。 2012年11月にパナマで開催された第3回WBC予選のパナマ代表に選出された[1]。 2013年に、現役を退きレッドデビルズのコーチに就任した。 この元プロ野球選手の記録に関する文献や情報源が必要です。出典を明記するためにご協力をお願いします。(2013年6月)
1 経歴
1.1 プロ入り前
1.2 プロ入りとMLB時代
1.3 日本球界時代
1.4 MLB復帰
1.5 メキシカンリーグ時代
1.6 メキシカンリーグ退団後
2 選手としての特徴
3 詳細情報
3.1 年度別打撃成績
3.2 背番号
3.3 登場曲
3.4 代表歴
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
経歴
プロ入り前
プロ入りとMLB時代
日本球界時代
MLB復帰
メキシカンリーグ時代
メキシカンリーグ退団後
選手としての特徴が望まれています。
詳細情報
年度別打撃成績
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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