ホセ・フェラー
Jose Ferrer
『ケイン号の叛乱』出演時
本名Jose Vicente Ferrer de Otero y Cintron
生年月日 (1912-01-08) 1912年1月8日
没年月日 (1992-01-26) 1992年1月26日(80歳没)
出生地プエルトリコ サンフアン
死没地フロリダ州 コーラルゲーブルス
職業俳優、映画監督
活動期間1935年?1992年
配偶者Uta Hagen (1938-1948)
Phyllis Hill (1948-1953)
ローズマリー・クルーニー (1953-1961, 1964-1967)
Stella Magee (1992-1992)
著名な家族ミゲル・フェラー(息子)
主な作品
『赤い風車』(1952年)
受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1950年『シラノ・ド・ベルジュラック』
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1950年『シラノ・ド・ベルジュラック』
その他の賞
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ホセ・フェラー(Jose Ferrer、1912年1月8日 - 1992年1月26日)は、プエルトリコ出身の映画監督、俳優。本名は、ホセ・ビセンテ・フェレール・デ・オテーロ・イ・シントロン(Jose Vicente Ferrer de Otero y Cintron)。また、日本語表記や発音では、ホセ・ファ(ー)ラーとも呼ばれる。
俳優のミゲル・フェラーは息子。テニス選手のジジ・フェルナンデスはいとこ[1]。ミゲル・ファーラーの母で3人目の妻だった歌手ローズマリー・クルーニーの甥には俳優のジョージ・クルーニーがいる。 10歳ぐらいの頃に母国からアメリカに渡ったといわれ、ニューヨークに居を構えて学生時代をすごす。ニューヨーク大学、プリンストン大学にまなび、在学中は建築家をめざして勉学に励んだ。そのころ、大学では学生の間で学生劇が流行り、彼もその活動にのめりこむううち、俳優という職業に魅せられて1935年、ブロードウェイの舞台に立つまでになった。 次第に才能を発揮し、コメディからシェイクスピア作品まで幅広くこなし30代のころには演出も手がけるなど、舞台で地位を確立した。戦後、映画界にも進出し、1948年『ジャンヌ・ダーク』ではシャルル7世役を演じて本格的に映画デビュー。舞台時代に培った実力が余りなく活かされ、アカデミー助演男優賞候補となったほか、1950年の主演作『シラノ・ド・ベルジュラック』で遂にアカデミー主演男優賞を受賞。オスカー像を掲げ、名優の仲間入りを果たした。 その後も『赤い風車』では2度目のアカデミー主演男優賞候補に、同時に舞台でも活動を続け、1952年までに2度トニー賞も受賞した。
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