ホセ・パーラ
Jose Parraニューヨーク・メッツ時代
(2004年6月26日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地サンティアゴ州ジャカグア
ホセ・ミゲル・パーラ(Jose Miguel Parra , 1972年11月28日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
NPBでは1999年にセントラル・リーグ(セ・リーグ)の読売ジャイアンツ(巨人)で、2005年にパシフィック・リーグ(パ・リーグ)のオリックス・バファローズでプレーした。巨人時代はホセ、オリックス時代はパーラ、韓国球界では??、台湾球界では保樂をそれぞれ登録名としていた。 1989年12月、ロサンゼルス・ドジャースと契約。 マイナーリーグでのプレーを経て、1995年にメジャーリーグ初登板を果たす。同年7月31日、パーラ、ロン・クーマー、グレッグ・ハンセル、クリス・レイサムとケビン・タパーニ、マーク・ガスリー
経歴
現役時代
1998年は韓国プロ野球の第1回外国人選手ドラフトで三星ライオンズから1位指名を受け入団。60試合に登板し、19セーブを挙げて、プレーオフにも出場している。
1999年にNPBの読売ジャイアンツ(巨人、セントラル・リーグ)に入団。登録名はホセ。韓国球界を経てNPBでプレーした最初の外国人選手である[1]。当初は育成目的で獲得とのことだったが、投手陣の不振や怪我人が出たことにより5月に一軍へ昇格。5月18日の対ヤクルトスワローズ戦で来日後初先発し、9回途中まで無失点の好投をする。続く5月25日の対広島東洋カープ戦で来日初勝利を挙げたが、目立った成績を残すことができずに1年で退団となった。
以降、2000年はピッツバーグ・パイレーツ、2001年は台湾の統一ライオンズとメキシカンリーグ、2002年はアリゾナ・ダイヤモンドバックスから韓国のハンファ・イーグルス、2003年は再び統一ライオンズとメキシカンリーグ、2004年はニューヨーク・メッツと、国を問わず各リーグを転々とする[2]。
そして2005年、NPBのオリックス・バファローズ(パシフィック・リーグ)と契約し、6年ぶりにNPBへ復帰することになった。登録名はパーラ。入団会見では、「抑えで起用されるなら25から30セーブ、先発なら20勝を目標にまず15勝は勝ちたい」と強気な発言を見せた[3]。開幕から先発を任され、合併球団になってからの初勝利投手になるなど、シーズン序盤の先発の軸となる。交流戦では古巣の巨人戦でも投げ、5月までは7試合に登板して4勝となかなかの滑り出しだったが、6月11日の対横浜ベイスターズ戦で右肘を痛め途中降板。右肘内側靭帯及び屈筋腱の損傷で全治6週間と診断され[4]、8月4日に自由契約となり退団した。 2008年にデトロイト・タイガース傘下ルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・タイガース
現役引退後
詳細情報
年度別投手成績