ホセ・アブレイユ
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はアブレイユ、第二姓(母方の)はコレアです。この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。

ホセ・アブレウ

ホセ・アブレイユ
Jose Abreuヒューストン・アストロズ #79
シカゴ・ホワイトソックス時代
(2014年5月17日)
基本情報
国籍( ドミニカ共和国へ亡命)
出身地 キューバ
シエンフエーゴス州クルセス
生年月日 (1987-01-29) 1987年1月29日(37歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
255 lb =約115.7 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション一塁手
プロ入り2013年 アマチュアFA
初出場2014年3月31日
年俸$19,500,000(2023年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


エレファンテス・デ・シエンフエーゴス

シカゴ・ホワイトソックス (2014 - 2022)

ヒューストン・アストロズ (2023 - )

国際大会
代表チーム キューバ
WBC2013年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ホセ・ダリエル・アブレイユ・コレア(Jose Dariel Abreu Correa,[注釈 1] 1987年1月29日 - )は、キューバ共和国シエンフエーゴス州クルセス出身のプロ野球選手一塁手)。右投右打。MLBヒューストン・アストロズ所属。愛称はマル・ティエンポ[5]

WBC等ではスペイン語読みの「アブレウ」と表記されていた。
経歴
キューバ時代

キューバシエンフエーゴス州に生まれ、幼い頃はオレステス・キンデランに憧れて育つ[6]。ジュニアナショナル時代から注目され、16歳の時から国内リーグに出場した。

2004年には第21回AAA世界野球選手権大会キューバ代表に選ばれた。その後も着実に成績を伸ばして小さな国際大会に何度か選出されたものの、A代表入りはならなかった。キューバの名門体育大学であるマニュエル・ファハルド国立体育大学を卒業。

当初、外野手三塁手主体で一塁手は兼務であったが、2008年以降は一塁を守る比率が高まったことで現在のキューバ代表のニーズに合致。

2009年の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)最終選考に残った。同年7月にオランダロッテルダムで開催された第12回ワールドポート・トーナメントのキューバ代表に選出された。続いて9月の第38回IBAFワールドカップで初のA代表に選ばれた。

2009-2010シーズンは打率.399、30本塁打でそれぞれリーグ2位と持ち前の強打が開花し、それに加え四球を多く選ぶようになり、出塁率でリーグ1位となるなど、キューバ最高クラスの強打者に成長した。国際大会でも2010年7月に東京で開催された第5回世界大学野球選手権大会では対日本戦で菅野智之から本塁打を放つなど首位打者を獲得する活躍で、一塁手のベストナインに輝いた。同年10月の第17回IBAFインターコンチネンタルカップのキューバ代表にも選出された。キューバの優勝に貢献した。

2010-2011シーズンは肩の滑液包炎の影響で23試合を欠場したものの、シーズン最終戦でヨエニス・セスペデスと並ぶリーグ記録となる33号本塁打を放ち、首位打者と本塁打王の二冠に輝き、打点もリーグ2位でMVPを受賞。また、出塁率とOPSともにリーグ1位になった。

2011-2012シーズンは首位打者を獲得し、OPSも3シーズン連続でリーグ1位になった。11月6日に「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」のキューバ代表が発表され[7]代表入りした[8]。同日、台湾で行われたサンダーシリーズのため来台した[9]。サンダーシリーズ終了後の、14日に来日した[10]

2013年3月に開催された第3回WBCキューバ代表に選出された[11]。同大会では中国戦で満塁本塁打を記録するなど、打率.360、3本塁打、9打点の好成績を記録した。8月14日に亡命した。
ホワイトソックス時代

2013年10月29日にシカゴ・ホワイトソックスと総額6800万ドルの6年契約を結んだ[12][13]

2014年は開幕ロースター入りし[14]、3月31日に行われたミネソタ・ツインズとの開幕戦でメジャーデビュー。「4番・一塁手」で先発起用され、4打数2安打1打点だった[15]。4月は月間新人最多記録となる10本塁打、32打点を記録し、MLB史上初となる4月での月間MVP月間新人MVPのダブル受賞を果たした[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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