ホグマネイ(Hogmanay)は、スコットランドで大晦日を意味する言葉、また大晦日から1月1日の未明まで夜通しで続く祭のことを指す。 語源は諸説あるが、フランス北部の方言である「オギナネ(hoguinane)」由来とするものがある。この言葉は他にも「オギナーヌ」、「オギノノ」、「オギネット」という変化形がある[1]。「オギナネ」とは新年の贈り物を意味するが、他に「オー・ギ・メネ(ヤドリギのところへ連れて行くの意)」、「オー・ギ・ラン・ヌッフ(新年のヤドリギへの意)」または「オム・エ・ネ(男性(または人間)が生まれるの意)」の転訛説もある[2]。アギィアヌフ(aguillaneuf)という古フランス語であるとの説もある。これは、大晦日に交換する贈り物のことをも指す[3]。他にも、北欧諸語でユール(クリスマス)に先立って行われる祝宴を意味する「ホッゴノット」[4]、ケルト語派で新年を意味する「ホグナス」などの説もある[3]。 起源についても諸説あり、1604年には、モレイ・エルジンの記録で「ハグマニー(hagmany)」の名で言及されているが、古代に北欧から来たヴァイキングが持ち込んだとする説の他、中世のフランス王国との同盟「オールド・アライアンス (Auld Alliance)」を契機として入って来たものとする説もある。 今日では、エディンバラとグラスゴウの二大都市では、ホグマネイを、ニューヨークのタイムズスクエアの大晦日並みに大々的に祝うので知られている。寒さにもかかわらず、この祭は多くの観衆を惹きつけ、未明の時間を飲み騒ぐことでも有名である。マーケティングの効果もあって、見物客は年々増加し、チケットが入手できないほどになっている。幻想的な花火大会とたいまつ行列がエディンバラ、そして他の多くの都市でも行われる。ホグマネイは、ハイランド地方、島嶼部に独自のしきたりが見られる。また、家庭での習慣にも興味深いものがある[3]。 かつての伝統的なの祭では、牛の皮をまとった人々が、杖で打たれながら村を駆け回るものがあった。その当時の祭には、焚き火(ボーンファイア)や、火を付けた樽を丘から転がしたり、たいまつを投げたりというものもあった、動物の皮は杖にも巻かれ、その杖から出る煙が、悪霊を撃退するのに大きな効き目があると信じられていた。この杖もホグマネイと呼ばれる[4]。 ホグマネイの様子は、テレビ局により中継されている[5][6]。 ハイランド地方の古い習慣では、ホグマネイを家庭や家畜の「サイニング(スコットランド語で「守り」「祝福」の意)」と共に祝う。この習慣が残っている地域は少ないが、今後復活する可能性もある。1月1日の早朝、一家の主人が、「死者と生者の浅瀬」から汲んで来た「魔法の水」を口にし、また家の周囲に撒く。(この浅瀬とは、生者や、死者の魂が行きかう地元の川と思われる)すべての部屋、ベッド、そして住人にまで水をまいた後、家の窓や戸をしっかりと締め、ビャクシンの枝に火を点けて、家や牛小屋の中を持って回る。鼻水や咳が出るくらいにまで燻した後、窓やドアを開け放ち、新年の冷たくて新鮮な空気を入れる。家の女性は、元気づけのためにウィスキーを食卓に出し、家族は新年の朝食の席に着く[7]。 ストーンヘブンの火の球転がし 北東部のアバディーンシャーのストーンヘヴン アウター・ヘブリディーズ アップ・ヘリー・アー
語源
概要 エディンバラのたいまつ行列
エディンバラとグラスゴー
ハイランド地方
ストーンヘヴン
ルイス島
シェトランド諸島
フォークランドとセントアンドリュース
ファイフのフォークランドでは、夜中が近づくと、地元の男性が、たいまつ行列に参加してローモンドの丘に行く。セントアンドリュースのパン屋ではホグマネイの祝日用にケーキを焼いて、子供たちに与える習慣がある。このケーキを焼く日をケイクデイ(Cake day)と呼ぶ[10]。 太陽の象徴を燃やすユールの儀式 ホグマネイには火を使う行事が多く、これもまた、バイキングの時代や異教の時代にさかのぼるものである。火は、冬至の後に戻って来る太陽を表し、悪霊を撃退すると信じられている。ホグマネイの起源は、冬至の頃に行われていた異教の儀式にさかのぼる。古代ローマでは、サトゥルニア
祭の起源
ホグマネイとクリスマス ステーキと玉ねぎのパイ
何世紀もの間、ホグマネイはスコットランドではクリスマスよりもはるかに大事な休日であった。スコットランドに根強いプロテスタントの改革派、特に長老教会が、クリスマスをカトリック的であるとしたためと思われる。また、産業革命の時代の労働者が、厳しい労働条件のため、クリスマスに休みを取れなかったからとする説もある[4]。長老教会の関係者は、概してホグマネイにも不賛成であった。この引用は、公式な教会の記録にある中で、初めてホグマネイに触れられている部分である[11]。