ホイッグ史観
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ホイッグ史観(ホイッグしかん、: Whig historiography, Whig history, whig history、ウィッグ史観とも)とは、歴史を「進歩を担った殊勲者」対「進歩に抵抗した頑迷な人びと」に分け、両陣営の戦いと前者の勝利として歴史を物語的に記述する歴史観である。「成功している我々」や「繁栄している現体制」を歴史的必然、絶対的な運命に導かれるものとして、そこに至る進歩的、進化的、合理的、直線的、連続的な過程として読み替えてしまう、いわば勝利者による正統史観というべきもの。啓蒙主義社会進化論とも関係が深い。

ホイッグ史観によってイギリス史をとらえると、イギリスの現代の進歩をもたらした功労者はホイッグプロテスタントであり、それに逆らった者がトーリ党カトリックである。前者の代表がウィリアム3世エリザベス、後者はジェームズ2世ジョージ3世などによって構成される。
定義

栄田卓弘によるホイッグ史観の定義は以下の通り[1]
進歩の味方/敵という二項対立で歴史を描く。敵方の勢力・人物は歴史上有害で、歴史的に無意味な存在である。

現在のために過去を研究する姿勢をとる。過去は現在の起源として存在を許され、進歩派がそのルーツであり、その敵は生物進化における絶滅種にひとしい。たとえば、信仰の自由ルターの功績によるもので、我々はルターに感謝すべきであるとする[2]

歴史家は過去に対する裁判官である。進歩の敵は「容赦なく断罪され」、進歩をもたらした者は歴史的英雄の地位を勝ち得る[3]。歴史家は過去を道徳的に判断する権利と責任を持つ。

こうしたホイッグ流の歴史記述はマコーリーから、彼の姪孫にあたるトレヴェリアン[4]らに受け継がれた。マルクスらの唯物史観イデオロギーとしては異なるが、どちらも進歩史観で共通点も多く、批判・否定よりも同調することが多かった[5]中世前期史においてもアングロサクソン、特に七王国時代のイングランドはゲルマン的な自由な社会だったと永らく主張されていた。これは一般自由人学説とよばれ、自由主義の広がりを追い風に通説となった。しかしこれは自由主義の退潮と前後して批判を受け、通説的立場を失ってきている[6]マコーリーはホイッグ史家の代表的存在である。現在でこそホイッグ史観は厳しく批判され支持者を失っているが、最高の歴史家は同時に最高の作家であるという伝統の強いイギリスにおいて、マコーリーの物語力は高く評価されてきた
歴史

元来、英国史の概念で、トーリー党(王党派、後の保守党)に政治的に優越したホイッグ党(議会派、後の自由党、現在の自由民主党)が、自派に有利な歴史記述を行ったことに由来する。トーマス・マコーリー1800年 - 1859年)『History of England(イングランド史)全5巻』(1848年 - 1861年)がホイッグ史観の代表的な歴史書である。狭義では、ブルジョワジーを擁護し、資本主義発展を目指す自由主義を指す。ホイッグ史観に対する批判を定式化したのは、ハーバート・バターフィールド1900年 - 1979年)の『Whig Interpretation of History』(1965年、邦訳書は『ウィッグ史観批判:現代歴史学の反省』)である。

バターフィールドは17世紀に大文字の「科学革命」(Scientific Revolution)が生じたと説いたが、トーマス・クーン1922年 - 1996年)は(小文字の)科学革命論で、科学史を断続的なパラダイムの変化として説いた。異なるパラダイムを客観的に俯瞰、通約する立場は成立しえないという相対主義である。今日、「ホイッグ史観」はクーンと結びつけて、科学史上の概念として語られることもある[7]
日本への影響


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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