ペーター・ヴァイス
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ペーター・ヴァイス
Peter Weiss
ペーター・ヴァイス(1982年)
誕生1916年11月8日
ドイツ国、ノイバベルスベルク
死没 (1982-05-10) 1982年5月10日(65歳没)
 スウェーデンストックホルム
職業小説家劇作家
国籍 ドイツ、 スウェーデン
文学活動47年グループ
代表作『マラーの迫害と暗殺』(1963年)
『追究』(1965年)
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ペーター・ウルリヒ・ヴァイス(Peter Ulrich Weiss、1916年11月8日 - 1982年5月10日[1])は、ドイツ出身の小説家劇作家、美術作家、グラフィックデザイナー

ユダヤ人の家系に生まれ、ナチス政権下にスウェーデンに亡命、以後ストックホルムで暮らした。小説のほか記録演劇の分野でも活躍。スウェーデン共産党のメンバーでもあり、1960年代後半から作品の政治色が強まっていった。ストリンドベリの翻訳家としても知られる。
生涯

ベルリン近郊のノイバベルスベルクに生まれる。父はハンガリー出身のユダヤ人(ただし国籍はチェコ)で大きな織物商を営んでおり、母はスイス人の女優である。少年時代はブレーメンとベルリンで過ごす。学校に慣れず、親に隠れて童話や神話を耽読するような子供であった。1934年ナチスの迫害を逃れて一家でロンドンに亡命、1936年チェコのプラハに移り、ここで2年間美術学校に通った。1939年、ナチスによるチェコ併合の動きが高まったためスウェーデンに移住。約2年間父親の工場で働いた後、1940年に両親の元を去り単身ストックホルムに出る。1945年、スウェーデン国籍を取得。

ストックホルムでは織物デザイナーや画学校の教師などの仕事をし、画家としてコラージュの制作に専念した。1950年代からは青少年犯罪に関する記録映画なども手がけている。また作家としてスウェーデン語による小説や評論も書いていたが、1948年にそれを断念し、ドイツ語による創作を始めた。1952年に『御者の体の影』を完成させ、この作品が1960年代にドイツの文壇に登場するきっかけとなった。

『御者の体の影』は、ヴァイス自身が「ミクロ・ロマーン(微細小説)」と名づけた通り、片田舎の旅館に寝起きする人々の行動を不自然なまでに詳細に描写した、アンチロマン風の前衛的な作品であった。当初はどの書店も出版を拒否したが、8年後にようやく、47年グループの中心的存在であった批評家ヴァルター・ヘレラーの目に留まり出版までこぎつけた。初版はわずか1000部の限定出版ではあったが一部の文学者から高い評価を受け、ドイツ文壇における前衛文学の担い手として注目を浴びることになった。なおこの作品にはヴァイス自身の手によるコラージュ作品7枚が挿入されている。

続く『両親との別れ』(1961年)『消点』(1962年)は自伝小説であり、自身の生い立ちや読書遍歴、創作への決意などを詳細に記した。ヴァイスの名声を決定的にしたのは、1964年に西ベルリンのシラー劇場で初演された戯曲『サド侯爵の指導のもとにシャラントン精神病院の演劇グループによって演じられたジャン・ポール・マラーの迫害と暗殺』である。作品の舞台はナポレオン・ボナパルト皇帝下の1808年であり、シャラントンの精神病院に患者として送られたマルキ・ド・サドが、他の患者を指導してフランス革命時に起きたシャルロット・コルデーによるマラーの暗殺を演劇で再現する、というもので、この劇中劇にはサド自身もサドその人の役で登場する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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