ペーター・ハントケ
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ペーター・ハントケ
Peter Handke

誕生 (1942-12-06) 1942年12月6日(81歳)
ドイツ国ケルンテン帝国大管区、グリッフェン
職業小説家劇作家脚本家
国籍 オーストリア
文学活動47年グループ
代表作『ペナルティキックを受けるゴールキーパーの不安』(1970)
主な受賞歴ゲオルク・ビューヒナー賞(1973年)
カフカ賞(オーストリア)(1979年)
ヴィレニツァ国際文学賞(1987年)
カフカ賞(チェコ)(2009年)
国際イプセン賞(2014年)
ノーベル文学賞(2019年)
ウィキポータル 文学
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ノーベル賞受賞者
受賞年:2019年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:言語的な技巧を交えて、人間の経験の外縁と特異性を探究した、影響力のある諸作品に対して

ペーター・ハントケ(ドイツ語: Peter Handke, 1942年12月6日 - )は、オーストリア出身の現代作家。小説、戯曲、詩から放送劇、フランス文学の翻訳まで幅広く活動。現在フランスのシャヴィーユ在住。2019年ノーベル文学賞受賞[1]
経歴

母親の故郷であるケルンテン州のグリッフェン(英語版)で生まれる。母はケルンテンのスロヴェニア[2]、父はドイツ人で、ナチス・ドイツの軍人であった。クラーゲンフルトギムナジウムを卒業した後、グラーツ大学にて法律学を専攻。1966年に小説『雀蜂』で作家デビュー、直後に大学を中退。この年プリンストンで開かれた47年グループに参加しグループに対して痛烈な批判を行い、フランクフルトで最初の戯曲『観客罵倒』(四人の出演者が劇の始めから終わりまでひたすら観客を罵倒し続けるというもの)を上演しセンセーショナルなデビューを飾る。当時ビートルズの影響を受けたマッシュルームカットだったこともあり「文学界のポップスター」とも評された。

デビュー以来ほぼ年に1作のペースで話題作を発表しており、その活動分野は小説、戯曲、詩から放送劇、フランス文学の翻訳まで幅広い。孤児が言葉を知ることによって社会にとらわれていく様を幾つもの断章を用いて描いた戯曲『カスパー』(1967年)や、殺人者が次第に言葉や社会とのつながりを失っていく小説『ペナルティキックを受けるゴールキーパーの不安』(1970年)など、当初は社会に溶け込めない個人を主題とした実験的なものが多かったが、70年代から80年代から次第に肯定的、総合的な作風へ移行して行き、前年の母親の自殺を扱った『幸せではないが、もういい』(1972年)や、『ゆるやかな帰郷』(1979年)、母方の祖父の故郷スロヴェニアを旅する『反復』(1986年)といった自伝的な作品も手がけるようになった。またヴィム・ヴェンダースと組んでの映画製作が知られており、自作が原作の『ゴールキーパーの不安』(映画は1971年)『まわり道』(同1974年)や『ベルリン・天使の詩』で脚本を書いている。

1996年に発表した紀行文『ドナウ、サーヴェ、モラヴァ、ドリナ河畔への冬の旅』において、ユーゴスラビア紛争での西側メディアの報道の偏りを非難し、NATOによる空爆を批判。この言動は親セルビア的であるとしてマスコミから集中砲火を浴び、ギュンター・グラスハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーらからも強い批判を受け、また前述のヴィム・ヴェンダースともこの問題を機に仲違いをしている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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