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ペルー海軍(西:Marina de Guerra del Peru、MGP)は、ペルーの海軍。 2007年時点で現役兵総員25,000人[1]。ペルーの海上防衛とアマゾン川などの内水の警備を主任務とし、海上の治安維持や救難活動も行う。 ペルー海軍の現役兵力は、2009年時点で21,000人である[2][3]。主要艦艇は巡洋艦1隻、フリゲート8隻、潜水艦6隻、コルベット(ミサイル艇とも)6隻、河川砲艦5隻などを保有する。固定翼機21機と回転翼機14機を有する海軍航空隊と、海兵隊、沿岸警備隊(20t以上の船艇7隻)を指揮下に収めている。 部隊は大きく3つに分けられ、太平洋作戦総司令部(Comandancia General de Operaciones del Pacifico)と、アマゾン川作戦総司令部(Comandancia General de Operaciones de la Amazonia)、沿岸警備港務総局(Direccion General de Capitanias y Guardacostas)の指揮下にある。潜水艦隊の全てと水上部隊、航空機及び海兵隊の各主力は太平洋作戦総司令部の隷下に配備されている。アマゾン川作戦司令部の隷下には、河川砲艦部隊とジャングル戦闘用の海兵隊1個大隊、若干の航空機が存在する[4]。 太平洋作戦総司令部隷下の水上部隊は、フリゲート8隻から成る第1水上隊群(Flotilla de Superficie No.1)、コルベット6隻と揚陸艦4隻、輸送艦1隻から成る第2水上隊群に分かれている。潜水艦隊は潜水艦6隻と支援艦1隻で構成されている。太平洋作戦司令部隷下の海兵隊は、2個海兵大隊と車両大隊、コマンド大隊からなる両用戦旅団として編成されている[5]。 1821年10月8日の海軍創設と、1879年10月8日に起きたアンガモスの海戦を記念して、10月8日はペルーの海軍記念日となっている。 ペルーの近代海軍は、スペインからの独立戦争中に生まれた。独立戦争中の1821年3月にスペインから鹵獲した「サクラメント」が、ペルーの船旗を掲げた最初の船である。1821年10月8日が海軍創立の日とされる。スペインからの鹵獲船を中心に、初期のペルー海軍は成長した。独立戦争中のペルー海軍は、主に海上封鎖に従事した。 独立後、最初の対外戦争となった大コロンビアとの戦争では、ペルー海軍はグアヤキルの海上封鎖と陸戦支援を行った。その過程では、陸上砲台との砲撃戦や拿捕された商船の救出などを経験した。 1836年にペルー・ボリビア連合国が成立すると、ペルー海軍は連合の海軍へと引き継がれた。ペルー・ボリビア連合とチリは対立し、同年8月21日夜にチリ艦隊がカヤオの連合艦隊を奇襲して、両国は事実上の戦争状態に入った(連合戦争
概要
歴史
19世紀
1857年に起きたエクアドルとの紛争では、再びグアヤキルの封鎖と占領に従事した。1864年にスペインとの間でチンチャ諸島戦争(スペイン語版、英語版)が勃発すると、チリ海軍と協力してスペイン海軍と交戦し、アブタオの海戦(英語版)やカヤオの海戦(英語版)などを経験した。この戦争のためペルー海軍の増強が行われ、装甲艦「ワスカル」と「インデペンデンシア」などが購入された。もっとも、2隻の装甲艦の到着は戦争末期で余り大きな活躍はなかった。1877年には「ワスカル」が反乱をおこし、イギリス艦隊と交戦している(パコーチャの海戦(英語版))。
1879年に太平洋戦争が起きると、ペルー海軍は、チリ海軍と戦うことになった。ペルー海軍の艦船は質・量ともにチリ海軍に劣り、整備状態も練度も悪かった。