Peruvians
Peruanos
マンコ・カパックパチャクテクホセ・ガブリエル・コンドルカンキリマのローザJuan Fco. de la Bodega y Quadra
ペルー人(ペルーじん)とは、ペルーの人々および海外に住む彼らの子孫のことである。ペルーは500年以上を超える昔から、異なる集団の組み合わせによって構成されてきた多民族国であるため、ペルーの人々は自分たちの国籍を、民族ではなく、市民性と捉えている。16世紀のスペインによる侵略以前の数千年はペルーの領地にはインディアンが住んでいた。歴史家であるデービッド・N・クックによると、主に感染症が原因で、推定1520年代には500万から900万ほどがいたアメリカインディアンの人口は、1620年には約60万人にまで減少した[10]。スペイン人とアフリカ人は植民地時代に大量にペルーにやってきて、彼ら同士、また先住民たちと交流するようになった。共和国時代になると、次第にヨーロッパ(特にスペイン、イタリア、そして数はかなり小さくなるがフランスやバルカン、イギリス、ドイツなど)からの移民が増加した。19世紀末には多くの日本人と中国人が住み移った。人口がおよそ2950万人であるペルーは南アメリカでは4番目に人口の多い国である[11]。人口成長比率は1950年と2000年とを比べると、2.6%から1.6%に減少した。それでも2050年にはおよそ4200万人に達すると見込まれている[12]。2007年の時点で、人口の75.9%が都市部に住み、24.1%が田舎に住んでいた[13]。主な都市は800万人もの人々の故郷となっているリマ、アレキパ、トルヒーリョ、チクラヨ、ピウラ、イキトス、クスコ、チンボテ、ワンカヨなどであり、2007年の調査ではどの都市も25万人を超える人々が住んでいる[14]。ペルー人の国外居住者が多い国はアメリカ合衆国、南アメリカ(アルゼンチン、チリ、ベネズエラ、ブラジル)、ヨーロッパ(スペイン、フランス、イギリス)、日本、オーストラリア、そしてカナダである。 ペルー国勢調査は民族に関する情報を含んでいないため、大ざっぱな統計しか手に入れることができない。全国連続調査(National Continuous Survey)によると、ペルー人の59.5%は自身をメスティーソと認識し、22.7%はケチュア族、2.7%がアイマラ人、1.8%がアマゾン川流域の原住民(Amazonians:ヤネシャ族とも言われる)、1.6%が黒人あるいはムラート、4.9%が白人、そして6.7%がその他の民族(中国人、日本人、その他)であると思っている[15]。
ペルーの民族構成