ペル・メル_(ロンドン)
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ザ・マル (ロンドン)」とは異なります。

ペル・メル
Pall Mall
2009年のペル・メル
セントラル・ロンドンの地図上で場所を示す
全長0.4 mi[1] (0.6 km)
所在地 イギリス ロンドンウェストミンスター
郵便番号SW1
最寄りの鉄道
・地下鉄駅鉄道 チャリング・クロス
チャリング・クロス
座標北緯51度30分25秒 西経0度07分59秒 / 北緯51.506944度 西経0.133056度 / 51.506944; -0.133056座標: 北緯51度30分25秒 西経0度07分59秒 / 北緯51.506944度 西経0.133056度 / 51.506944; -0.133056
東端ヘイマーケット
西端セント・ジェームズ・ストリート(英語版)
整備
整備決定1661年7月
落成1661年9月
その他
著名な点

リフォーム・クラブ(英語版)

アシーニアム・クラブ(英語版)

トラヴェラーズ・クラブ(英語版)

ロイヤル・オートモバイル・クラブ(英語版)

ペル・メル(: Pall Mall、[?pal ?mal][2])はロンドン中心部、シティ・オブ・ウェストミンスターのセント・ジェームズ(英語版)地区にある通りである。日本語では「パルマル」などの表記も見られる[2]。通りはセント・ジェームズ・ストリート(英語版)とトラファルガー広場を繋いでおり、A4道路(英語版)の一部でもある。通りの名前は、17世紀に地区で行われていた球技、ペルメルに由来するものである。

地区はチャールズ2世施政下に建てられ、ロンドンの高級住宅街となった。18世紀には上流階級の買い物、また19世紀には紳士クラブ(英語版)で知られるようになった。21世紀でも現存するクラブとしては、リフォーム・クラブ(英語版)、アシーニアム・クラブ(英語版)、トラヴェラーズ・クラブ(英語版)などが挙げられる。19世紀後半には戦争省がペル・メルに本部を構えていたほか、ロイヤル・オートモバイル・クラブ(英語版)本部は1908年以来この通りに存在した。
目次

1 地理

2 歴史と地形学

2.1 初期の歴史と、ペル・メル競技場

2.2 17世紀から18世紀に建てられた建物

2.3 その後の歴史


3 文化的活用・言及

4 関連項目

5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典

5.3 参考文献


6 発展資料

7 外部リンク

地理

ペル・メルはセント・ジェームズ(英語版)地区の東側を走る0.4マイル (0.64 km)の通りで、セント・ジェームズ・ストリート(英語版)からウォータールー・プレイス(英: Waterloo Place)を横切り、ヘイマーケットへ至る[3]。また東側に続くペル・メル・イースト(英: Pall Mall East)の先にはトラファルガー広場があるほか、セント・ジェームズ・ストリートを北進するとピカデリーに行き当たる[3]。通りの番地は、北側の東端から西端にかけてまず振られ、次に南側に移って西から東へと振られる。通りは、セントラル・ロンドンから西へ走る主要道路、A4道路(英語版)の一部である[1]。ロンドンバス(英語版)の9番線は、ペル・メルに沿って西へ走り、トラファルガー広場と、ピカディリーやハイド・パーク・コーナーを繋いでいる[4]
歴史と地形学
初期の歴史と、ペル・メル競技場

ペル・メルは1661年に、ヘイマーケット(現在のウォリック・ハウス・ストリート[注釈 1]付近)から王宮セント・ジェームズ宮殿に至る、やや南側にあった幹線道路を掛け替えて作られた[5]。史学的調査では、この場所にはサクソン人の時代から道があったと示唆されているが、最古の記録は、聖ジェームズ病院(セント・ジェームズ病院)のハンセン病療養所に関係する12世紀のものである。16世紀に入り、ヘンリー8世によってセント・ジェームズ・パークが作られた時、道の南側に沿って、公園の境壁が建てられた[注釈 2]。1620年、枢密院はミドルセックス州長官(英語版)に対し、壁に隣接して貧しい人々が建てていた、多くの一時的家屋を一掃するよう命令した[6]

クロッケーに似た球技であるペル・メルは、17世紀初頭にジェームズ1世によってイングランドにもたらされた。このゲームはフランススコットランドでは既に人気であり、ジェームズ1世の息子であるヘンリーチャールズも楽しんでいたという[7]。1630年には、ヘイマーケットの北側であるセント・ジェームズ・ロード(英: St James road)に、ロンドン初のペルメル競技場としてセント・ジェームズ・フィールド(英: St James's Fied)が完成した[8]

イングランド王政復古1660年5月29日チャールズ2世のロンドン帰還後、セント・ジェームズ・パークの南壁、ザ・マルの位置に、ペルメル競技場が建設された[6]サミュエル・ピープスは1661年4月2日付の日記で、「セント・ジェームズ・パークに入り、ヨーク公がペルメルに興じていらっしゃるのを観た、スポーツというものを初めて観た」と書き記している[9]


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