「ザ・マル (ロンドン)」とは異なります。
ペル・メル
Pall Mall
2009年のペル・メル
セントラル・ロンドンの地図上で場所を示す
全長0.4 mi[1] (0.6 km)
所在地 イギリス ロンドン、ウェストミンスター
郵便番号SW1
ペル・メル(英: Pall Mall、[?pal ?mal][2])はロンドン中心部、シティ・オブ・ウェストミンスターのセント・ジェームズ(英語版)地区にある通りである。日本語では「パルマル」などの表記も見られる[2]。通りはセント・ジェームズ・ストリート(英語版)とトラファルガー広場を繋いでおり、A4道路(英語版)の一部でもある。通りの名前は、17世紀に地区で行われていた球技、ペルメルに由来するものである。
地区はチャールズ2世施政下に建てられ、ロンドンの高級住宅街となった。18世紀には上流階級の買い物、また19世紀には紳士クラブ(英語版)で知られるようになった。21世紀でも現存するクラブとしては、リフォーム・クラブ(英語版)、アシーニアム・クラブ(英語版)、トラヴェラーズ・クラブ(英語版)などが挙げられる。19世紀後半には戦争省がペル・メルに本部を構えていたほか、ロイヤル・オートモバイル・クラブ(英語版)本部は1908年以来この通りに存在した。 ペル・メルはセント・ジェームズ ペル・メルは1661年に、ヘイマーケット(現在のウォリック・ハウス・ストリート[注釈 1]付近)から王宮セント・ジェームズ宮殿に至る、やや南側にあった幹線道路を掛け替えて作られた[5]。史学的調査では、この場所にはサクソン人の時代から道があったと示唆されているが、最古の記録は、聖ジェームズ病院(セント・ジェームズ病院)のハンセン病療養所に関係する12世紀のものである。16世紀に入り、ヘンリー8世によってセント・ジェームズ・パークが作られた時、道の南側に沿って、公園の境壁が建てられた[注釈 2]。1620年、枢密院はミドルセックス州長官
目次
1 地理
2 歴史と地形学
2.1 初期の歴史と、ペル・メル競技場
2.2 17世紀から18世紀に建てられた建物
2.3 その後の歴史
3 文化的活用・言及
4 関連項目
5 脚注
5.1 注釈
5.2 出典
5.3 参考文献
6 発展資料
7 外部リンク
地理
歴史と地形学
初期の歴史と、ペル・メル競技場
クロッケーに似た球技であるペル・メルは、17世紀初頭にジェームズ1世によってイングランドにもたらされた。このゲームはフランス・スコットランドでは既に人気であり、ジェームズ1世の息子であるヘンリーやチャールズも楽しんでいたという[7]。1630年には、ヘイマーケットの北側であるセント・ジェームズ・ロード(英: St James road)に、ロンドン初のペルメル競技場としてセント・ジェームズ・フィールド(英: St James's Fied)が完成した[8]。
イングランド王政復古と1660年5月29日のチャールズ2世のロンドン帰還後、セント・ジェームズ・パークの南壁、ザ・マルの位置に、ペルメル競技場が建設された[6]。サミュエル・ピープスは1661年4月2日付の日記で、「セント・ジェームズ・パークに入り、ヨーク公がペルメルに興じていらっしゃるのを観た、スポーツというものを初めて観た」と書き記している[9]。