ペルメル_(球技)
[Wikipedia|▼Menu]
1891年出版の "Old English Sports, Pastimes and Customs" で描かれたペルメル

ペル・メル[1]イギリス: [pal?mal][1]アメリカ: [p?l?m?l]・[pal?mal]・[p??l?m??l])は、16世紀・17世紀に流行したローン・ゲーム(英語版)(芝生の上で行う屋外競技)の一種で[1][2]クロッケーの原型になったとされる。英語でのスペルには、Pall-mall、paille-maille、palle-maille、pell-mell、palle-malleなどがある。
歴史

ペルメルは、フランスのグランド・ビリヤードの一種であるジュ・ド・マイーユ(英語版)から近世に発展したものである。またイタリアのトゥルッコ(英語版)(近代英語ではローン・ビリヤード、またはトラック[注釈 1]とも)や類似のゲームとも関係がある。名前は「木槌 (Mallet) ・」を意味するイタリア語の pallamaglio から来ており、これを更に突き詰めると、ラテン語で「球」・「大木槌(英語版)、、木槌」という意味の palla、malleus に至る[3]語源学上では、縛ったで作った的輪を意味する中世フランス語の pale-mail(英:straw-mallet)に由来するという説もある[4]
イングランドでの歴史

1630年頃、フランス人のジョン・ボニール(: John Bonnealle)が、ロンドン・セント・ジェームズ・スクエア(英語版)南側の、セント・ジェームズ・フィールドとの名前で知られる一角に(のち「ペル・メル・フィールド」[注釈 2])、ペルメル競技場を作った。「1年か2年後」(英: "A year or two" later)の1631年頃、ボニールは死去し、王の靴職人だったデイヴィッド・マラード(もしくはマロック、英: David Mallard or Mallock)がこの場所に家を建てたが、1632年の聖燭祭に取り壊しを命じられた[5][6][7]

ペルメル競技場はこの跡地に再建されたらしく、1635年9月30日には、アーチボルド・ラムズデン(英: Archibald Lumsden)が「彼が持つセント・ジェームズ・フィールド内の敷地に、独占的に[ペルメル用の]木槌、球、シャベル、そしてペルメル競技に必要なものを据え付ける権利を与え、またそのために古来からのゲーム規則に従って、彼に必要な金額が支払われる」との認可状が出されている[注釈 3][5][6]。ラムズデンのペルメル競技場は1660年9月の記録にも登場し、娘のイザベラ(英: Isabella)が「ペルメル競技[場]の維持に425ポンド14シリングをかけた彼女の父に約束したように、セント・ジェームズ・フィールドの自由保有権の一部を」嘆願している[注釈 4][6][8]。嘆願書に添えられた勘定書きでは、金銭が「球、木槌、シャベル」や「ペルメル[競技場]の修繕」に用いられるとされている[注釈 5][6][8]

1661年4月2日付けのサミュエル・ピープスの日記では、「セント・ジェームズ公園に入り、ヨーク公がペルメルを興じていらっしゃるのを観た、スポーツというものを初めて観た」と書き残している[注釈 6][9]

1630年以前には、この競技がイングランドで行われていたという記録は無い。競技については、1611年発行の仏英辞書に言及があるが、当時実際にイングランドで競技が行われていたという確証は無い。ペルメル:f. 角の無い箱枠の中で、球を打球づちで打ち、鉄製の高いアーチの中(レーンの両端に立っている)へ打ち込む。より少ない打数で成功するか、取り決めてあった打数で打ち込んだ人物が勝者となる。
Palemaille : f. A game, wherein a round box bowle is with a mallet strucke through a high arch of yron (standing at either end of an alley one) which he that can do at the fewest blowes, or at the nu[m]ber agreed on, winnes. ? ランドル・コットグレイヴ(英語版) 、A Dictionarie of the French and English Tongues, 1611[10]

両端に鉄製の輪がある、長い小道状の競技場というコットグレイヴの描写は、ロンドンで20年後に行われていた競技の様子とよく合致する。しかし、この文章は1611年のイングランドで競技が行われていたと示唆・確証するものではなく、単にフランス語の単語を英語で定義したものと考えられる。

19世紀初頭にイングランドで行われていたゲームに関する著作家のジョゼフ・ストラット(英語版)はコットグレイヴの記述を引用し、王政復古した王権との関連について述べている。ペルメル競技はチャールズ2世の治世下には流行していた娯楽で、現在ザ・マルと呼ばれているセント・ジェームズ・パークの通路は、ペルメルを行うのに適した場所だったことから名付けられ、チャールズ2世や廷臣たちは趣味としてよく競技を行っていたという。ペルメル競技のこの名称は、明らかにボールを打つのに用いられた打球づち(木槌)に由来するものである。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:86 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef