ペルシア美術
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ペルシアの芸術(ペルシアのげいじゅつ)とは、イラン文化圏(Greater Iran)における芸術をさし、この地域は現在のイランアフガニスタンタジキスタンアゼルバイジャンウズベキスタンとその周辺にまたがり、世界史上もっとも豊かな芸術遺産を残す地域のひとつである。そこでは建築絵画・手織物・陶芸書道金属工芸石彫などの分野で技芸の修養が続いている。なお『イラン』は、この文化圏の中心に現在位置する一国家とその主要民族の名称であるが、ペルシア帝国時代より現代まで伝わりこの地域に共通の基盤をもつ文化を叙述するさいには現在でもイランではなく『ペルシア』を冠する場合がある。エスファハーンの「イマームのモスク(英語版)」(17世紀磁器(13世紀
工芸
ペルシア絨毯詳細は「ペルシア絨毯」を参照ペルシア絨毯は現在でもその伝統を守り、織糸の繊維から色彩(染色)に至るまで天然素材を元に何ヶ月もかけて手作業で作られる。

イランの絨毯織の技能はこの伝承において人々が天賦の感覚を発揮した文化や習慣に根ざしている。織り手は無数の色彩をエレガントなパターンに織り上げる。イランの絨毯の図柄は、花が咲き乱れ数々の鳥や獣が遊ぶペルシア庭園のようである。

染料の原料は野生の花が多く、その色はワインレッドネイビーブルーにアクセントとなるアイボリーなど実に豊富である。織りあがると紅茶で洗い生地を柔軟にするが、この工程でペルシア絨毯特有の風合いが増す。絨毯の産地毎に模様のパターンやデザインはさまざまである。またガッベーやゲリーム(ペルシャ風キリム)のような絨毯は織り方やノット数にバリエーションがある。

これらの絨毯の織にみられる類稀な職人気質やシルク地に、玄奘三蔵、ジャン=バティスト・タヴェルニエ、ジャン・シャルダンなどは深い関心を寄せてきた。
陶磁器「en:Iranian pottery」、「イスラームの陶芸」、および「c:Category:Ceramics of Iran」も参照壺(陶器)、紀元前4千年紀イラン国立博物館(National Museum of Iran、テヘラン)のシアルク・コレクション

考古学者のロマン・ギルシュマンは「この人々(イラン人)の嗜好と才能は、陶器の意匠をとおしてみられるのだ」と評する。イラン各地に数多くみられる遺跡や歴史的遺物には、ほとんど必ずといってもよいほど卓越した品質の陶磁器がみられる。シアルクジーロフト(Jiroft culture)の遺跡からは壺だけでも山のように出土する。

ペルシア文学は陶芸家(kuzeh gar)という職業に特別な地位を与えてきた。
タイル画若い女性を描いたタイル画「c:Category:Tiles in Iran」および「c:Category:Tiles from Iran」を参照

イランの代表的タイル画は、エスファハーンのブルーモスク(イマーム・モスク、金曜モスクなど)で見ることができる。かつてはカーシャーン(Kashan, 『タイルの地』の意)とタブリーズがイランのモザイクやタイル産業の2大中心であった。
文様「fa:????? ??????」および「fr:Motifs decoratifs de l'art perse」を参照

長い間イラン美術は独特のパターン文様を発達させ、工芸品の装飾に応用してきた。これらのモチーフは以下のとおり。

祖先の遊牧生活に着想(ゲリームやガッベーに用いられる幾何学文様など)

イスラム教の影響、さらに進んだ幾何学文様

東洋風だがインドパキスタンの様式とは一線を画す。

金属工芸

ルリスタン青銅器


ガラム・ザニー

ミーナ・カーリー

ハータム・カーリーハータムカーリー(伝統的寄木張り細工)の一例

サファヴィー朝になると繊細で綿密な造作のハータムカーリー(寄木張り象嵌細工)の制作がはじまり、宮廷で大変もてはやされて、この技芸が音楽や絵画とならんで王子たちの教養科目になった。その後18-19世紀には象嵌人気は下火となったが、パフラヴィー朝レザー・シャーがてこ入れして工芸学校をテヘランエスファハーンシーラーズに開設した。ハータムカーリーの装飾

この工芸はパターン装飾(星形が多い)を施すもので、使われる材料は木(黒檀チークナツメオレンジローズウッド)、真鍮(金色の部分)、ラクダの骨(白色の部分)などである。蒐集用の高級工芸品には象牙が使われる。木を3角形断面の細棒に加工し、糊付けして加工した他の材料ともども緻密に直径70cmの円柱に組み上げて、6角形に内接した六芒星のモチーフが円柱の横断面に出来上がるという段取りである。このようにしてできた円柱を切断して短くし、2枚の木板の間に挟んで圧力を加えながら乾燥したのち、最後に各1mm厚のシート状になるよう切断する。太い金太郎飴の薄切りを想像してもらえばよいだろう。装飾するものの表面にこれを糊付けし、ラッカー塗装で仕上げる。このシートを加熱すると柔軟になり、装飾するものの外形に合わせて変形することができる。

このようにしていろいろな物を装飾するが、その一例は箱、チェス盤額縁喫煙用のパイプ、机、楽器である。寄木張りを細密画に使うこともある。

かつて中国より伝来した技術にペルシア流のノウハウを加味して、この工芸はもう700年以上も連綿と続き、今でもエスファハーンシーラーズに息づいている。
その他の手工芸

ギーヴェ
、Galesh

ガラム・カーリー

テルメ

美術
絵画と細密画謁見の場の法学者たち、ガージャール朝時代の絵画様式詳細は「ペルシャ細密画(英語版)」を参照

東洋学者のバジル・グレーの評によれば、「イランはこれまで独自〔ママ〕の美術を世界に提示してきたが、そのユニークさにこそ価値がある。」

イランのロレスターン州の洞穴には、動物と狩猟の様子を描いた壁画が残っている。ファールス州シアルクにある洞穴の壁画は5,000年以上も昔のものである。

イランの絵画はビフザードらの画家が新しい技法を生み出したティムール朝の時代に頂点に達したとみられる。

ガージャール朝時代の絵画は、ヨーロッパ絵画の影響とレザー・アッバースィーが主導したサファヴィー朝時代の細密画(ミニアチュール)派の様式を盛り込んだものである。カマル・アルモルク(Kamal-ol-molk)のような宮廷画家は、ヨーロッパ絵画の影響をイラン絵画にさらに深く投射した。ガージャール朝時代には「ガフヴェハーネ派」が出現した。ここではシーア派興隆の叙事詩の断章をよく主題にした。
レリーフと彫刻「c:Category:Reliefs in Persepolis」を参照ペルセポリス「アパダナ」(ダレイオス大王謁見の間)北階段のレリーフ(部分)

レリーフ彫刻の歴史は紀元前にさかのぼる。エラム語のレリーフは古代ペルシアでレリーフ制作の中心地であったペルセポリスでみることができる。タンゲー・サヴァシ(Tangeh Savashi)にあるレリーフ、ガージャール朝時代ファトフ・アリー・シャーの命により制作
音楽「en:Music of Iran」および「Category:イランの音楽」を参照

有史時代に入って以来、イランでは各種楽器の演奏を伴う独特の音楽が発達してきた。この楽器群には、洋の東西で現代人が使う楽器の原型がいくつもみられる。

音楽家がイラン史に初めて出現するのは、紀元前3千年紀のスーサエラムである。ビシャープール(Bishapur) の古代遺跡などのレリーフ・彫刻・モザイクは、当時の音楽文化を生き生きと表現している。


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