ペラーヨ
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スペイン海軍の戦艦については「ペラヨ (戦艦)」をご覧ください。

ペラーヨ
Pelayo
アストゥリアス王

在位718年 - 737年

死去737年

埋葬 
アバミア
子女ファビラ
エルメシンダ
王家アストゥリアス家
父親ガラエキアの公ファフィラ(ファビラ)
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ペラーヨ(スペイン語:Don Pelayo, ? - 737年)は、西ゴート王国貴族で、初代アストゥリアス王(在位:718年 - 737年)。
生涯

ペラヨはアストゥリアス地方を支配していた西ゴートの貴族ファフィラ(ファビラ)の息子であったといわれる[1]。『Codex Vigilanus』によると、ファフィラはガラエキアの公であったが西ゴート王ウィティザに殺害されたという[2]。 『アルフォンソ3世年代記』ではペラヨは西ゴート王キンダスウィントの孫とされ、父ファフィラはウィティザの指示でコルドバに幽閉されていたとされる[3]。イスラム勢力がイベリア半島に侵攻し、グアダレーテ河畔の戦いウマイヤ朝軍に敗れた西ゴート王国が崩壊するとアストゥリアス地方に逃げ、718年にアストゥリアス王国を建国した。722年にコバドンガの戦いでイスラム軍を破っている[4]。このことより、イベリア・レコンキスタの開始者として位置づけられている。

息子ファビラ(ファフィラ)が跡を継ぎ、娘エルメシンダは後にアストゥリアス王となるアルフォンソ1世と結婚した。
脚注^ 西川、p. 24
^ Collins (1989), p. 143
^ Collins (1989), p. 144
^ Collins (1989), p. 145

参考文献

西川和子 『スペイン レコンキスタ時代の王たち』 彩流社、2016年

Collins, Roger (1989). The Arab Conquest of Spain, 710-797. Oxford: Blackwell Publishing.
ISBN 0-631-15923-1.










アストゥリアス王
ペレス朝

ペラーヨ718-737 / ファビラ737-739 / アルフォンソ1世739-757 / フルエーラ1世757-768 / アウレリオ768-774 / シロ774-783 / アルフォンソ2世783 / マウレガート783-789 / ベルムード1世789-791 / アルフォンソ2世791-842 / ネポシアーノ842 / ラミロ1世842-850 / オルドーニョ1世850-866 / アルフォンソ3世866-910 / フルエーラ2世910-924
※924年、レオン王国に併合

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更新日時:2017年4月12日(水)11:49
取得日時:2019/07/29 16:20


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