この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はパッソス、第二姓(父方の姓)はコエーリョです。
ポルトガルの政治家ペドロ・パッソス・コエーリョPedro Passos Coelho
ペドロ・パッソス・コエーリョ(2014年4月)
生年月日 (1964-07-24) 1964年7月24日(55歳)
出生地 ポルトガル、コインブラ
出身校リスボン大学
ルジアダ大学
所属政党社会民主党
配偶者ファティマ・パディーニャ(離婚)
ラウラ・フェレイラ
サイン
第120代ポルトガル共和国首相
在任期間2011年6月21日 - 2015年11月26日
大統領アニーバル・カヴァコ・シルヴァ
ポルトガル共和国議会議員
選挙区リスボン県
在任期間1991年11月4日 - 1999年10月26日
選挙区ヴィラ・レアル県
在任期間2011年6月20日 -
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ペドロ・マヌエル・マメーデ・パッソス・コエーリョ(ポルトガル語: Pedro Manuel Mamede Passos Coelho、ポルトガル語発音: [?ped?u m?nu??? m??m?d? ?pasu? ku?e?u]
、1964年7月24日 - )は、ポルトガルの政治家。社会民主党代表、首相。早くから政治に関わり、社民党青年組織のリーダーにもなった。2011年6月21日から2015年11月26日まで、第19次立憲内閣を率いた。目次1964年7月24日、コインブラのセ・ノヴァ教区に末弟として生まれる。父のアントニオ・パッソス・コエーリョ(1926年5月31日、ノルテ地方ヴィラ・レアル生まれ)は精神科医で、1955年に看護婦のマリア・ロドリゲス・サントス・マメーデ(1930年ごろ、アレンテージョ地方オウリク生まれ)と結婚した。姉のマリア・テレサ・パッソス・コエーリョも精神科医で[1]、兄のミゲル・マメーデ・パッソス・コエーリョは生まれつき脳性麻痺の障害があった[2][3]。
父が医学を学んだアンゴラ(当時はポルトガルの植民地)で幼少期を送った。1974年のカーネーション革命でアンゴラ人民共和国が成立すると一家は帰国し、ヴィラ・レアルに居を定めた。
14歳で社会民主党の青年組織である「社会民主青年」 (JSD) に加入し、政治活動を開始。1980年から1982年まで、全国委員会のメンバーを務めた。学生時代は父や姉にならって医学や数学に関心を見せたが、最も大きな夢は政治に向けられていた。 5歳でアンゴラに渡ってから10歳まで、アンゴラのクイト(旧称シルヴァ・ポルト)やルアンダの学校で学んだ。親の研究で原住民の奥地に分け入ることがあったため、結核などの熱帯病にもかかった。初めはカトリック系学校に通ったが公立校に転校し、またカトリック系学校に移った。
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