ペトルス・カニシウス
[Wikipedia|▼Menu]

聖ペトルス・カニシウス
イエズス会司祭

教会カトリック教会
イエズス会
聖職
司祭叙階1546年
個人情報
出生1521年5月8日
オランダ
ナイメーヘン
死去1597年12月21日
スイス
フリブール
聖人
記念日12月21日
崇敬教派カトリック教会
称号教会博士
ドイツ第二の使徒
列福1864年
列福決定者ピウス9世
列聖1925年
列聖決定者ピウス11世
テンプレートを表示

ペトルス・カニシウス(ラテン語: Petrus Canisius, 1521年5月8日 - 1597年12月21日)は、カトリック教会イエズス会司祭聖人教会博士聖ボニファティウスに次ぐ「ドイツ第二の使徒」と呼ばれる[1][2]
生涯

カニシウスはオランダ・ネイメーヘンに生まれ、ケルン大学で法律家を志して学んでいたが神学に転向。司祭になる決心をした彼はドイツでピエール・ファーヴルと出会い、1543年、イエズス会に入会。カニシウスはドイツで最初のイエズス会士となる[1][2]

当時ドイツ各地は荒廃し、司祭が不在な教会が存在していた。カニシウスにドイツにおけるカトリックの環境を再生すべく布教に当たった[1][2]

カニシウスは1546年、司祭叙階され、翌1547年、トリエント公会議に出席、カトリック教会の立場を擁護し、大学で教鞭を取りながら信仰に関する書物を執筆、出版し、特に『カトリック小教理問答』は15ヶ国語に出版されている[1][2]

1597年12月21日、赴任先のスイスフリブールで死去。1864年、教皇ピウス9世により列福され、1897年レオ13世により「ドイツ第二の使徒」の称号が与えられ、1925年ピウス11世により列聖され、教会博士に宣言された[1]
出典・脚注^ a b c d e “教皇ベネディクト十六世の258回目の一般謁見演説 聖ペトルス・カニシウス”. カトリック中央協議会 (2011年2月9日). 2022年12月21日閲覧。
^ a b c d “聖人カレンダー 12月21日 聖ペトロ・カニジオ司祭教会博士”. 女子パウロ会. 2022年12月21日閲覧。

外部リンク

教皇ベネディクト十六世の258回目の一般謁見演説 聖ペトルス・カニシウス カトリック中央協議会


聖人カレンダー 12月21日 聖ペトロ・カニジオ司祭教会博士 女子パウロ会










イエズス会
イエズス会士

イグナチオ・デ・ロヨラ

フランシスコ・ザビエル

ピエール・ファーヴル

ペトルス・カニシウス

ディエゴ・ライネス

アルフォンソ・サルメロン

シモン・ロドリゲス

ニコラス・ボバディリャ

ガスパル・ヴィレラ

フランシスコ・ボルハ

ディエゴ・コスタ


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:54 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef