出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年6月)
ペテン盆地(西:Cuenca del Peten、英:Peten Basin)はメソアメリカを地理的に区分した地域の一つであり、現在のグアテマラの北部、ペテン県の領域にほぼ重なる。この土地では先コロンブス期の先古典期末から古典期にかけてティカルなどのマヤ文明の多くの主要なセンターが花開き、ペテン特有な形式のマヤ建築
(英語版)と石碑が興隆した。ラ・スフリカヤ(英語版)とホルムルの遺跡もこの地域にある。紀元前1千年紀前半までに、この地域のペテン盆地とミラドール盆地(英語版)には既に多数のマヤ文明の記念碑や都市が大いに発展していた。先古典期の主なマヤ遺跡には、ナクベ、エル・ミラドール、ナーチトゥン、サン・バルトロおよびミラドール盆地のシヴァルがあった。ペテン県の主な集落と遺跡を示した地図。
後にペテンは西暦200年?900年にかけてのマヤの古典期の中心地となった。最盛期の750年あたりにはペテンには何百万もの人々が住んでいたと推定されており、当時の世界で最も人口密度の高いところの一つで、場所によっては2000人/km2にも及んだ[要出典]。農耕は非常に広範に行われていたが、それは持続不可能なものであった。過剰な耕作の末に土地が痩せ果ててしまった結果、古典期マヤ国家の崩壊の重要な要因の一つである飢餓が起きた事を示す証拠が見つかっている[要出典]。9世紀半ばから10世紀半ばにかけて推定人口は2/3にまで落ち込んだ[要出典]。ジャングルの空へ突き出すティカル遺跡
ペテンにおける古典期マヤの遺跡はワシャクトゥン、ティカル、ラ・スフリカヤ(英語版)、マチャキラー、ナランホ、ナクム、ピエドラス・ネグラス、ウスマシンタ川沿いのアルタル・デ・サクリフィシオス、サン・ペドロ・マルティル川沿いのワカ(エル・ペルー)、セイバル、ペテシュバトゥン地域のアグアテカ、パシオン川沿いのカンクエン、トポシュテおよびヤシャーがある。
世界初のユネスコ世界遺産はティカルであり、そして後にティカル国立公園は、最初の考古学と自然による複合遺産となった。