ペスキエーラ・デル・ガルダ
Peschiera del Garda
行政
国 イタリア
州 ヴェネト
県/大都市 ヴェローナ
CAP(郵便番号)37019, 37010
市外局番045
ISTATコード023059
識別コードG489
分離集落#分離集落参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
公式サイト ⇒リンク
人口
人口10,953 [1] 人 (2022-01-01)
人口密度621.3 人/km2
文化
住民の呼称arilicensi
守護聖人聖マルティーノ
(San Martino
ペスキエーラ・デル・ガルダ(伊: Peschiera del Garda)は、イタリア共和国ヴェネト州ヴェローナ県にある、人口約11,000人の基礎自治体(コムーネ)。
ガルダ湖南端に位置し、ミンチョ川が流れ出す地点にある。ヴェネト州最西端のコムーネであり、ロンバルディア州と境を接している。ミンチョ川の中の島には、オーストリア帝国がロンバルド=ヴェネトを統治していた時代に修築された要塞がある。 ヴェローナ県西端のコムーネで北はガルダ湖に面し、南はマントヴァ県、西にブレシア県と接する。ペスキエーラ・デル・ガルダの街は、県都ヴェローナの西約23km、マントヴァの北北西約32km、ブレシアの東南東約39km、州都ヴェネツィアの西約127kmに位置する。ヴェローナ県概略図 隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のBSはブレシア県、MNはマントヴァ県所属を示す。 気候分類では、zona E, 2381 GGに分類される[4]。また、イタリアの地震リスク階級 (it ペスキエーラ・デル・ガルダには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。 ローマ時代、ガリア・キザルピナに築かれた街 Ardelica は、 Lacus Benacus (ガルダ湖)の南東端の Mincius 川(ミンチョ川)が流れだす地点、すなわち現在のペスキエーラ・デル・ガルダのある場所にあった。ローマ時代に描かれた地図タブラ・ペウティンゲリアナには、 ブリクシア(ブレシア)とヴェローナの間に、Ariolica という名で描かれている。大プリニウスの『博物誌』には、Arilica として記されている。 ペスキエーラの要塞は、15世紀以降北イタリアで繰り広げられた軍事行動(たとえばナポレオン戦争)の中で重要な役割を果たした。オーストリア帝国がロンバルド=ヴェネトを統治していた時代には、クアドリラテロ (Quadrilatero
地理
位置・広がり
隣接コムーネ
カステルヌオーヴォ・デル・ガルダ - 東
ヴァレッジョ・スル・ミンチョ - 南東
ポンティ・スル・ミンチョ (MN) - 南
ポッツォレンゴ (BS) - 南西
デゼンツァーノ・デル・ガルダ (BS) - 西
シルミオーネ (BS) - 北西
気候分類・地震分類
行政
分離集落
Broglie, Dolci, San Benedetto di Lugana
歴史ジローラモ・ダイ・リブリ
第一次イタリア独立戦争中の1848年5月30日、サルデーニャ王国軍が6週間の攻防ののちオーストリアから奪取している。
ペスキエーラは軍事刑務所の所在地としても知られていた(2002年に閉鎖)。 ペスキエーラは、イタリアの全国ワイン都市協会 (Associazione nazionale citta del vino ベルヴェデーレ(Belvedere)とフラッシーノ(Frassino)にある水上住居の遺跡は、多国間にまたがるユネスコの世界遺産「アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群」の一部を構成している(ID1363-107)。また、ペスキエーラ・デル・ガルダの要塞都市として、多国間にまたがる世界遺産「16世紀から17世紀のヴェネツィアの防衛施設群:スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール」の一部を構成している(ID1533)。 フラッシーノ湖 (it:Lago del Frassino
社会
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自然・環境
交通ペスキエーラ・デル・ガルダ駅ミンチョ川の鉄道橋