「ペガサス」はギリシア・ローマ神話の伝説の馬「ペーガソス」または「ペーガスス」について説明しているこの項目へ転送されています。その他の用法については「ペガサス (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ペーガソス前515年-前500年頃のコリントスのコイン。ペーガソス伝説の残るコリントスはコインの図像にペーガソスと女神アテーナーを用いた。これに対してコリントスの隣国シキュオーンは、コインの図像にベレロポーンとペーガソスによって退治されたキマイラを用いた。
ペーガソス(古希: Π?γασο?, P?gasos, ラテン語: Pegasus, Pegasos)は、ギリシア神話に登場する伝説の生物である。鳥の翼を持ち、空を飛ぶことができる馬とされる。海神ポセイドーンとメドゥーサの子で、クリューサーオールと兄弟。
ラテン語ではペーガススといい、英語読みペガサス(Pegasus)でも知られる。日本語では長母音を省略してペガソス、ペガススと呼ばれるほか、天馬(てんば、てんま)と訳される。 ポセイドーンの子を身ごもったメドゥーサが英雄ペルセウスによって倒された際、ペーガソスはクリューサーオールと共にメドゥーサの首の傷口から生まれた[1][2]。その後ペルセウスはヘルメースから与えられた翼のあるサンダルで、エチオピアの上空を飛んでいるときに岩に縛り付けられたアンドロメダーを発見した(一説にはペーガソスに跨っていったともされる)。一方のペーガソスは天に上り、ゼウスのもとで雷鳴と雷光を運ぶという名誉ある役割を与えられた[3]。 ペーガソスはコリントス出身の英雄ベレロポーンの愛馬になったとも伝えられている。ピンダロスの詩によると、最初ベレロポーンはペイレーネーの泉に現れるペーガソスを捕らえようとして苦労した。すると夢にアテーナーが現れて面繋のついた黄金の轡を授けた。ベレロポーンはこの轡を用いることでようやくペーガソスを捕らえることができた[4]。ペーガソスはポセイドーンからベレロポーンに与えられたともいう[5]。そしてベレロポーンはペーガソスに騎乗して戦うことで、アマゾーンやソリュモイ人の討伐、怪物キマイラを滅ぼすという武勲をたてた[6][7]。 しかしベレロポーンは次第に増長し、ついにはオリュムポスに昇って神々の集会に加わり[8]、神々がどこに自分の座を持っているのかを確かめようとした[9]。しかしベレロポーンはゼウスの怒りに触れ、驚いたペーガソスはベレロポーンを振り落とした[8]。大地に墜落したベレロポーンは足を折り、一人淋しくその生涯を終えた[6]。 文芸の神ムーサイがピーエロスの娘たちと歌を競ったとき、ムーサイの歌を聴いたヘリコーン山(ボイオーティア地方の山)は異常に膨れ上がって天界にも届きそうになった。そこでペーガソスはポセイドーンの命により、ヘリコーン山を蹴って元に戻した[10]。またヘリコーン山にはヒッポクレーネー( ?πποκρ?νη,「馬の泉」の意 )という泉があり、ペーガソスが蹴った場所に湧いたとされる[11][12][13]。 同じ名前の泉はトロイゼーンにもあり、そこでもペーガソスが地を蹴って泉を湧かせたと伝えられている[14]。 上記とは一部異なる諸説がある。 ウィキメディア・コモンズには、ペーガソスとペルセウスが共に描かれている図像 ペルセウスのゴルゴーン退治の神話、またアンドロメダー救出の神話について、古典期の資料では一貫して「ペルセウスは翼のあるサンダルを履いていた」と語られており、ペルセウスがペーガソスに乗っていたとする伝承は残っていない(ペーガソスに乗っていたことで有名なのは上述のベレロポーンであり、また彼が退治したのもキマイラである)。しかしながら、中世以降の絵画や物語では、しばしばペルセウスがゴルゴーンを退治したのちペーガソスに乗って帰った、また帰路の途中で怪物ケートスと戦いアンドロメダーの命を救った際もペーガソスに乗って空から舞い降りた、と描かれていることがある。 14世紀初頭(1317年から1328年の間)にフランスで書かれた『オヴィド・モラリゼ(道徳的なオウィディウス)
神話
ベレロポーン
ヘリコーン山
異説
オウィディウスはペルセウスがメドゥーサの首を切ったとき、首の切り口から滴った血によってペーガソスとクリューサーオールは生まれたと述べている[15]。あるいは血が大地に滴って生まれたともいわれている(父は同じく海神ポセイドーン)。
ムーサイがヒッポクレーネーで飼っていた。
16世紀の神話研究の大家ナターレ・コンティ
ヒュギーヌスによると、ベレロポーンはオリュムポスに昇ろうとしたが、遠ざかる地面を見て恐怖し、墜死した。しかしペーガソスはそのまま天に昇って星座(ペガスス座)となった[16]。
受容史
ペーガソスを駆るペルセウス
1532年のアリオスト『狂えるオルランド』で描かれた、ルッジェーロがヒッポグリフを駆りアンジェリカ(英語版)を救う場面も影響を与えているのではないかとみられている[18]。
中世における「ペーガソスに乗るペルセウス」が描かれた絵画の代表例としては、1602年に描かれたジュゼッペ・チェーザリの『ペルセウスとアンドロメダ』(1593-1594年に描かれた『アンドロメダを救うペルセウス(英語版)』では翼が描かれていないが、1602年版では描かれている)、1611年のヨアヒム・ウテワールの『アンドロメダを救うペルセウス』などが挙げられる。またピーテル・パウル・ルーベンスの『アンドロメダを救うペルセウス(英語版)』(1620年)、『ペルセウスとアンドロメダ(英語版)』(1622年頃)では、ペルセウスをペーガソスに跨らせてはいないものの、ペルセウスとアンドロメダーに添えられる形でペーガソスが描かれている。