「ベントレー」のその他の用法については「ベントリー」をご覧ください。
ベントレー・モーターズ
Bentley Motors Limited種類子会社
本社所在地 イギリス
クルー
設立1919年1月18日
業種製造業
事業内容乗用車の製造,販売等
代表者ウォルフガング・デュルハイマー会長兼CEO
売上高17億4600万ユーロ(2014年)
純利益1億7000万ユーロ(2014年)[1]
従業員数3600人(2013年)
主要株主フォルクスワーゲン・グループ (100%)
関係する人物ウォルター・オーウェン・ベントレー(創業者)
ホレース・ミルナー・ベントレー(ウォルターの兄)
ウオールフ・バルナート
ベントレー・モーターズ(Bentley Motors Limited)は、イギリスの高級車の製造・販売会社で、1998年からフォルクスワーゲングループの傘下に入っている。エンブレムベントレーのオーナメント
名称は創業者のウォルター・オーウェン・ベントレー(W.O.)にちなむ。 1919年8月、ウォルター・オーウェン・ベントレーはベントレー・モーターズをロンドンのクリックルウッドに設立。その後、1924年-1930年にル・マン24時間レースで5回の優勝を飾るなどモータースポーツで名を上げ、高性能スポーツカーメーカーとして世界の富裕層に好んで使用された。しかしその翌年の1931年にロールス・ロイスに買収され、レース活動が封印された。 1923年に始まったル・マン24時間レースにベントレーのファクトリーチームとして参戦したドライバーを指す。多くは大富豪の子孫だった。1930年の撤退までに5回の総合優勝を果たした彼らの勇猛果敢な活躍、人間的な魅力、勝利への執念は現在に至るまで語り継がれている。 1920年代後半の世界恐慌によりベントレー・モーターズは経営不振に陥った。ネイピアと合併交渉が進んでいたが、ライバルであるネイピアとベントレーの合併を恐れたロールス・ロイスが偽名を使って買収、1931年に吸収合併された。その後W.Oは1935年にラゴンダに移籍し1935年のル・マン24時間レースで再び勝利したが、アストンマーティンのディビッド・ブラウンがウォルター・オーウェン・ベントレーを欲したためにラゴンダごと買収され、W.OはDBシリーズの直列6気筒エンジンを設計した。 ウォルター・オーウェン・ベントレーがいなくなった後のベントレーはロールス・ロイスのモデルとのバッジエンジニアリング化が進み、第二次世界大戦後にかけてロールス・ロイスのオーナーカー版としてベントレーは姉妹車化され、その後はオーナーカー用のスポーティーモデルとして、ロールス・ロイスとの差別化が計られた。 1971年、親会社であったロールス・ロイス社(Rolls-Royce Limited )は倒産、イギリス国有化された。1973年ロールス・ロイス社のうちベントレーを含む自動車部門のみが分離され、同国を代表する製造メーカーであったヴィッカースに売却された。1992年にはBMWとの提携を開始、ベントレー・アルナージに搭載されるV型8気筒エンジンの供給を受けるなどした。3.5ドロップヘッドクーペミュルザンヌ 1998年、ヴィッカースはロールス・ロイス(ベントレーを含む)の売却を決定、ドイツのフォルクスワーゲングループがその買収に成功した。この際、同じく買収を試みたBMWとのあいだにトラブルが生じたが、ベントレーについてはフォルクスワーゲンが所有、ロールス・ロイスは2002年までフォルクスワーゲンが生産・販売し、2003年1月からはその権利がBMWに移動することで決着した。この際の顛末については、ロールス・ロイス・モーター・カーズ#設立までの経緯を参照 2004年に登場した2ドアクーペの「コンチネンタルGT」は、フォルクスワーゲン・フェートンと大幅なパーツ共有化を図られている。ベントレーの生産は2008年、史上最大である年間10,000台規模に成長した後、翌2009年には年間5,000台規模にまで急減した。 2002年にエリザベス2世即位50周年祝賀記念としてベントレー・ステートリムジンがイギリス自動車業界協会より進呈され、以後エリザベス2世女王の公務専用車として使用されている。ベントレーがイギリス王室のメンバーの私用車として使用されたことはあったが、元首の公務専用車として使用されたのは史上初めてのことである。 2001年にベントレーはEXP スピード8でモータースポーツに復帰。参戦3年目となる2003年のル・マン24時間レースにおいて、21世紀になってから初めて、通算では6度目の総合優勝を成し遂げている。なお、スピード8はアウディ傘下のRTN(旧トムスGB)により新設計され、当初はアウディ・R8Cのエンジンを搭載していたが[2]、2002年からオリジナルのエンジンに変更した。 グループGT3規定には、Mスポーツの設計・チームオペレーションとピポ・モチュールのエンジンチューニングによって、コンチネンタルGT3で参入。IGTC(インターコンチネンタルGTチャレンジ)はじめとする各地のGTレースに参戦し、GTワールドチャレンジ・ヨーロッパではチャンピオンを獲得した。本社の電動化戦略の発表に伴い、2020年をもって、7年間のワークス活動に幕を下ろした[3]。 北米のパイクスピーク・ヒルクライムにもバイオ燃料仕様にしたコンチネンタルGT3が参戦し、純ガソリン車以外の全てのSDGs車両(フルEVなど)の中で最速タイムを叩き出した[4]。
歴史
独立会社時代(1919年-1931年)
ベントレーモーターズ設立
ベントレー・ボーイズ詳細は「w:Bentley Boys」を参照
ジョン・ジャック・ダフ(ベントレー・ディーラー経営、白洲次郎は彼の店で購入した)
J.B.ベンジャフィールド(細菌学者)
ウルフ・バーナート(実業家の息子、1927年ベントレー社の会長に就任)
ジョージ・デュラー
サミー・デイヴィス(後年モータージャーナリスト)
バーナード・ルービン
ヘンリー"ティム"バーキン(南アフリカの車メーカー"バーキン"創始者の祖父、アルファロメオでもル・マン優勝)
グレン・キッドストン
ジャック/クライヴ・ダンフィー兄弟
フランク・クレメント(ベントレー社チーフテストドライバー)
ロールス・ロイス時代(1931年-1998年)S2コンチネンタル・フライングスパー
フォルクスワーゲングループ時代(1998年-)ステートリムジン手前からコンチネンタルフライングスパー、コンチネンタルGT、アルナージベントレー・ベンテイガ
王室専用車
モータースポーツ復帰ベントレー・スピード8ベントレー・コンチネンタルGT3
車種
3リットル(1921年-1929年)
4'"`UNIQ--templatestyles-00000007-QINU`"'1⁄2リットル(1927年-1931年)
ブロワー
61⁄2リットル(1926年-1930年)
スピードシックス(1928年-1930年)
8リットル(1930年-1931年)
4リットル(1931年)
31⁄2リットル(1933年-1937年)
41⁄4リットル(1936年-1939年)
マークV(1939年-1941年)
マークVI(1946年-1952年)
Rタイプ(1952年-1955年)
Sタイプ(1955年-1965年)
Tシリーズ(1965年-1980年)
コーニッシュ(1971年-1984年)
コンチネンタル(1984年-1995年)- コンバーチブル
コンチネンタル・ターボ(1992年-1995年)
カマルグ(1985年)- 1台のみ
ミュルザンヌ(1980年-1987年)
ミュルザンヌL(1984年-1988年)- リムジン
ミュルザンヌ・ターボ(1982年-1985年)
ミュルザンヌS(1987年-1992年)
エイト(1984年-1992年)- 基本モデル
ターボR(1985年-1995年)- ハイパフォーマンスモデル
コンチネンタルR(1991年-2002年) - ターボチャージャー付き2ドアモデル
コンチネンタルRマリナー(1999年-2003年)‐ ハイパフォーマンスモデル
コンチネンタルS(1994年-1995年)‐ インタークーラー付き
ブルックランズ(1992年-1998年)‐ エイトの後継
ブルックランズR(1996年-1998年)‐ ブルックランズのハイパフォーマンスモデル
ターボS(1994年-1995年)- 限定ハイパフォーマンスモデル
ターボR(1995年-1997年)- '後期型'ターボR
アズール(1995年-2003年)- コンチネンタルRのコンバーチブル版
コンチネンタルT(1996年-2002年)‐ ショートホイールベースなハイパフォーマンスモデル
ターボRL(1997年-1998年)- '後期型'ターボRのロングホイールベース版
ターボRT(1997年-1998年)- ターボRLの後継
ターボRTマリナー(1997年-1998年)- 最高級パフォーマンスモデル
アズール・マリナー(1999年-2002年)- ハイパフォーマンスモデル
コンチネンタルTマリナー(1996年-2002年)- ハードサスペンション
アルナージ(1998年-2009年)
ステートリムジン(2002年)
コンチネンタルGT(2003年-)
コンチネンタル・フライング・スパー(2005年-)
アズール(2006年-2010年)
コンチネンタルGTC(2006年-)
コンチネンタルGTスピード(2007年-)
ブルックランズ(2008年-2011年)
コンチネンタル・フライング・スパー・スピード(2008年-)
コンチネンタルGTCスピード(2009年-)
アズールT(2009年-2010年)
アルナージ・ファイナルシリーズ(2009年)