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出典検索?: "ベンツが欲しい"
「ベンツが欲しい」(ベンツがほしい、Mercedes Benz)は、歌手ジャニス・ジョプリンが、詩人であるマイケル・マクルーア (Michael McClure) とボブ・ニューワース (Bob Neuwirth) とともに書いたア・カペラの歌で、ジョプリン自身によって最初に録音された[1]。歌の中で、歌い手は「主」に呼びかけて、メルセデス・ベンツや、カラーテレビを買ってちょうだい、「街で一晩パーっとやらせて」とねだる。ボビー・ウーマックによれば、ジョプリンがこの歌詞を着想したのは、ウォーマックと一緒にメルセデス・ベンツでドライブしたことがきっかけだったという[2]。この曲は一発録りで録音されたが[3]、同じ1970年10月1日には、ジョン・レノンのために歌われた少々騒々しい「ハッピーバースデートゥーユー」の断片などが録音された。ジョプリンは、この3日後の10月4日に死去し、この日の録音はジョプリンの生前最後の録音となった。この曲は、死後に発表されたアルバム『パール』に収録され、1971年にリリースされた。
この曲名の原題は、「Mercedes Benz」とハイフンを使っていないが、実際の自動車のブランド名は「Mercedes-Benz」とハイフンがついている。歌詞の中で言及されている『Dialing for Dollars』は、メディアフランチャイズ形式のローカル・テレビ番組で、賞金を得るためには番組を見なければならない仕組みになっていた。この歌は、ヒッピー全盛期における、消費主義の拒絶を歌ったものと考えられている[1]。
2003年、ジョプリンの録音をリミックスし、ビートとバックグラウンドのメロディを加えたバージョンが作られた。このバージョンは、ジョプリンのベスト・アルバムに収録された。 サイケデリックな塗装が施された、ジャニス・ジョプリンのポルシェ・356。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
おもなカバー・バージョン
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1971年:エルトン・ジョンは、アメリカ・ツアーの間、短期間だけこの曲をカバーした。
1970年代はじめ:Dave Clark & Friends(デイヴ・クラーク・ファイヴ解散後に再編・改名されたグループ)が、この曲を吹き込んだが、リリースされず、2010年までお蔵入りとなった。
1972年:Goose Creek Symphony がカバーし、彼らにとって最も知られた曲となった。
1976年:イギリスのフォーク・グループ Swan Arcade がカバー。
1980年:ドイツのシンガー=ソングライタークラウス・ラーゲ (Klaus Lage) がドイツ語で録音。
1990年:アメリカ合衆国のブルース奏者タジ・マハールが、アルバム『Blue Light Boogie』にカバーを収録。
1992年:フランス系カナダ人のポップ歌手ミツ (Mitsou) が、ダンス・ポップのバージョンを録音し、EP『Heading West』に収録。
1994年:Bob Rivers が、「Honda Accord」と題したパロディを発表。
1994年:オランダのポップ/ダンス・バンド T-Spoon がカバーを制作。
1996年:コンクリート・ブロンド (Concrete Blonde) のコンピレーション・アルバム『 Recollection: The Best of Concrete Blonde』にライブ・カバー・バージョンが収録された。
1997年:イタリアのポップ/ダンス歌手スパーニャ (Spagna) がカバーを制作し、アルバム『Indivisibili』に隠しトラックとして収録した。
1998年:元ガンズ・アンド・ローゼズのリズム・ギターだったギルビー・クラークが、アルバム『Rubber』にこの曲を収録した。
1999年: フィンランドのコメディ・グループ、エラケライセット (Elakelaiset) のEP『Humppaorgiat』に収録された「KELA」と題されたカバーでは、フィンランド語で、モペッドや短機関銃、ダッチワイフ、薬の詰まったキャビネット、その他「諸々本当にすごいもの」が欲しい、と社会保険庁 (KELA) に求める歌詞になっている。
1999年:日本のアダルト・ビデオのスター沢口みきは、この曲のカバーをアルバム『私の胸でおねむりなさい』に収録した。
2000年:オーストリアの Hubert von Goisern が改作したバージョンがアルバム『'Fon』に収録された。
2001年:歌詞の一部が、オペラ『Jeppe: The Cruel Comedy』に流用された。
2006年:ピンクが、ツアー「I'm Not Dead Tour」でこの曲をカバーした。
2009年:Kendel Carson がカバーし、アルバム『Alright Dynamite』に収録した。