ベンチュラ_(カリフォルニア州)
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サンブエナベンチュラ
City of San Buenaventura

北西方向からベンチュラ市を見下ろす
位置

カリフォルニア州におけるベンチュラ郡(左図)およびサンブエナベンチュラの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度16分30秒 西経119度13分40秒 / 北緯34.27500度 西経119.22778度 / 34.27500; -119.22778
歴史
市1866年
行政
アメリカ合衆国
  カリフォルニア州
 ベンチュラ郡
サンブエナベンチュラ
City of San Buenaventura
市長ウィリアム・フルトン
地理
面積 
  域84.6 km2
    陸上  54.6 km2
    水面  30.0 km2
      水面面積比率    35.49%
標高270 m
人口
人口(2020年現在)
  域110,763人
  備考[1]
その他
等時帯太平洋標準時 (UTC-8)
夏時間太平洋夏時間 (UTC-7)
公式ウェブサイト : ⇒City of San Buenaventura

サンブエナベンチュラ(: San Buenaventura)、通常は単にベンチュラ(: Ventura、以下でもベンチュラと記す、ベントゥーラという表記もある)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州の南部ベンチュラ郡の郡庁所在地。人口は11万0763人(2020年)。ベンチュラにはアメリカ国道101号線、カリフォルニア州道33号線、同126号線が通じている。

2022年にmacOS 13の正式名称[2]としてこの町の名前が採用された。
歴史

1782年にフニペロ・セラ神父がサンブエナベンチュラ伝道所を設立し[3]、後のベンチュラ市の基礎を築いた。この伝道所は13世紀のフランシスコ会聖人で教会博士だった聖ボナヴェントゥラに因んで名付けられていた。1841年7月6日、フアン・バウティスタ・アルバラド知事がフェリペ・ロレンサーナとレイモンド・オリバスにランチョ・サンミゲルの土地を特許した[4]。サンタクララ川岸にあったオリバスとサンミゲルのオリバス・アドベはモントレーより南では最も壮麗なアシエンダ(農場)だった。

南北戦争後、開拓者たちがこの地域にやって来てメキシコ人から土地を買うか、あるいは単純に不法定住者になった。その後鉄道業界の大立者トマス・スコットを初め東部人が広大な土地を獲得した。スコットは若い従業員の一人で北軍のために列車による物資補給にあたっていたトマス・R・バードを気に入っており、西部にあるスコットの資産を管理するためにバードを派遣した。

ベンチュラはそれほど容易に近づけるところではなかったので移民の目標にはならず、静かな田園地帯のままに留まっていた。1866年に自治体化されてからほぼ1世紀の間、州内の他地域から孤立した状態だった。

バードはベンチュラの父と見なされることが多く、その子孫はベンチュラ郡が成長するに連れて傑出した存在になっていった。1890年にバードを社長にユニオン石油会社が組織化されサンタポーラに事務所を構えた。1919年に初めて大規模なベンチュラ油田の掘削が始まり、その最盛期には日産9万バーレル (14,000 m3/日) の石油を汲み上げた。ベンチュラ市はベンチュラ川とサンタクララ川の間にあったので、土壌が肥沃で州内のどこよりも柑橘類の栽培に適していた。柑橘類農家がその生産量で世界最大となるサンキスト・グローワーズ協同組合を結成した。

ベンチュラに南から来る場合、1959年にコネホ・グレードを越える4車線の自動車専用道路(アメリカ国道101号線)が完成するまで、車による旅は時間が掛かり危険だった。このルートは1969年に拡幅改良されベンチュラ・フリーウェイと呼ばれており、ベンチュラとロサンゼルス都市圏を直接結んでいる。別にアメリカ国道101号線代替線(現在の太平洋岸ハイウェイ)がサンタモニカからオックスナードを経由して通じていたが、あまり使われなかった。

ベンチュラに北から来る場合、入り口は海浜に沿った一本道であり、駅馬車の乗客は馬が濡れた砂を行くことができる引き潮まで待つか、ベンチュラ川渓谷を遡って山越えでカシタス峠を経由しサンタバーバラに抜けるかであり、長く困難な旅だった。

ベンチュラの内陸はロスパドレス国立森林に取り囲まれており、山岳と深い渓谷がある。この経路は1930年代にマリコパ・ハイウェイが完成して通行可能になった。

この時以来ベンチュラは着実に成長を続けた。1920年の人口は4,156人だったが、1930年いは11,603人にまで増加し、1960年には16,643人、1970年には57,964人、1980年には73,774人にまで達した。その後の30年間で約107,000人にまで増加した。
ベンチュラ市内の見どころベンチュラ市、北方を臨む

市内には南カリフォルニアでは最良のサーフィンスポットが幾つかあり、特にベンチュラ郡フェアグラウンズのサーファーズポイントが有名である。中心街にはサンブエナベンチュラ伝道所、博物館、画廊、食事所および買い物場所がある。活動的な主要地域はカリフォルニア通りとベンチュラ・アベニューからファー通りの間のメインストリートである。この中心街には歴史的なオルテガ・アドビがあり、現在ではそのチリ商品で有名になったオルテガ家の家屋だった。多くの繁盛する店が高級品店やレストランと肩を並べている。中心街にはベンチュラの華美な市役所ビルがあり、フニペロ・セラの象徴的彫像が立っている。現在は多くのレストラン、ワインバーが軒を連ね、国際的に認められたルビコン劇団がある。

広さ4,300平方フィート (400 m2) のベンチュラ観光センターがカリフォルニア通り南101にあり、ヘリテージ・バレー、チャンネル諸島国立公園、地元のアートシーンおよび地域の地図やガイドブックが展示されている。

ベンチュラで最も目立つランドマークの1つは2本の木と呼ばれる場所である。丘の上に2本の木だけが立っており、市内の大半から見ることができる。

プラザパーク(中心街のチェスナット通りとサンタクララ通り)には国内最大級のモレトンベイ・フィグの木が目立ち歴史銘板が添えられている。通り向かいにはその内壁にWPA(公共事業促進局)の壁画がある郵便局本局がある。オックスナードのオックスナード平原北西縁にあるベンチュラ・ハーバーからベンチュラ市東端を臨む

ベンチュラ港は漁港であり、ベンチュラ港ビレッジにシーフードレストランやショッピング村がある。グラスタッチのような店舗やミラノズと世界的に有名なハイセスBBQのようなレストランで有名である。ベンチュラ郡生まれのブルースバンド、伝説的なブルーシチューとその後継者ベビーシッターがここを本拠地にしている。チャンネル諸島国立公園の本部も港にあり、諸島に渡る船が毎日運航されている。

ピアポントベイはベンチュラ港とサンブエナベンチュラ州立海浜の間に1マイル (1.6 km) にわたって伸びる住宅地である。元湿地が埋め立てられ、1925年には小区分に分けられていたが、経済不況、戦争および2回の海岸洪水(1937年と1962年)のあいだは緩りと散発的に開発された。いぜんは大半が賃貸用で週末のコテージと空き家がごちゃ混ぜになっていたが、カリフォルニアの不動産ブームの度に開発と革新のブームが起こり、現在のピアポントは大半がオーナーの所有する大型高級家屋と古く質素な海浜コテージとなった。計画性の無さのためにピアポントは明らかに自己同一性の危機にあり、広く様々な建築様式、シーウォード・アベニューに沿った不揃いな商業地域、市による保守の明らかな欠如のままに残され、数百万ドルの豪邸の隣でも地区の公的海浜地域に関する規制に関して紛争が続いている。紛争は将来増加する可能性があり、既に込み合っている通りに沿った高密度の開発計画とともに、州当局は過去80年間大半が自己規制だった海浜に権限を行使しようとしている。

ベンチュラ郡フェアグラウンズでは毎年ベンチュラ郡祭が開催され、長い間にジミ・ヘンドリックスグレイトフル・デッドスモーキー・ロビンソンおよびオール・アメリカン・リジェクツなどが公演してきた。ベンチュラ郡フェアグラウンズにあるダービークラブは衛星中継で競馬放送を流し、フルサービスのバーやレストランがある。ベンチュラ郡フェアグラウンズにはまた「アメリカで最良の小型ダートレース場」と言われるベンチュラ・レースウェイがある[5][6]。さらにアムトラックパシフィック・サーフライナーが停まる駅としても機能している。ここでは毎年バンズ・ワープト・ツアーも開催され、イエローカーズ、ペッパーおよびアヴェンジド・セヴンフォールドなどのバンドが出演してきた。

カリフォルニア初期の牧場家屋であるオリバス・アドビが現在博物館と芸能催事場として運営されている。オリバス公園ゴルフコースに隣接しており、セントラルコーストでは最も観光客の多い歴史史跡になっている。


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