ベンスハイム
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ヘッセン州
行政管区:ダルムシュタット行政管区
郡:ベルクシュトラーセ郡
緯度経度:北緯49度40分
東経08度37分
標高:海抜 115 m
面積:57.83 km2
人口:

40,168人(2016年12月31日現在)[1]
人口密度:695 人/km2
郵便番号:64601 - 64625
市外局番:06251
ナンバープレート:HP
自治体コード:06 4 31 002
市庁舎の住所:Kirchbergstrase 18
64625 Bensheim
ウェブサイト: ⇒www.bensheim.de
市長:ロルフ・リヒター (Rolf Richter)
郡内の位置

ベンスハイム (Bensheim) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州ベルクシュトラーセ郡に属す市。ベルクシュトラーセ沿いに位置する人口約4万人の同郡で最も大きな都市である。
目次

1 地理

1.1 位置

1.2 隣接する市町村

1.3 市の構成

1.4 気候


2 歴史

2.1 入植の歴史

2.2 中世

2.3 近世

2.4 近代以降


3 行政

3.1 市議会

3.2 市長

3.3 紋章

3.4 友好都市


4 文化と見所

4.1 劇場

4.2 博物館

4.3 音楽

4.4 世俗建築

4.5 宗教建築

4.6 スポーツ

4.7 青少年文化

4.8 年中行事

4.9 学問・研究

4.10 名物料理


5 経済と社会資本

5.1 地元企業

5.2 メディア

5.3 交通

5.4 教育


6 人物

7 引用

8 参考文献

9 外部リンク

地理
位置

この都市は、オーバーライン盆地の東端、オーデンヴァルトの西端にあたるベルクシュトラーセ沿いに位置している。近隣の大都市には、ダルムシュタット(約22km北)、ハイデルベルク(約35km南)、ヴォルムス(約18km西)、マンハイム(約32km南西)がある。郡庁所在地のヘッペンハイムへは南に約5kmの位置にある。

東のラウター渓谷からラウター川が流れ込み、ベンスハイムを貫いて流れている。この川はベンスハイムからヴィンケルバッハ川と名前を替える。市の南側には、やはりオーデンヴァルト(ツェラー・タール)から流れ下ったメーアバッハ川が流れている。この川はずっと地下を流れ、市域の西端でやっと地表に現れるものの、その後ラウター川から分岐した暗渠に流れ込んでゆく。
隣接する市町村

ベンスハイムは、北はツヴィンゲンベルクアルスバッハ=ヘーンラインおよびゼーハイム=ユーゲンハイム(後者2つはダルムシュタット=ディーブルク郡)、東はラウタータール、南はヘッペンハイム、西はロルシュおよびアインハウゼンと境を接する。
市の構成

ベンスハイムは、大まかに以下の地区に分けられる。

鉄道の東側: アルトシュタット(旧市街)やフォアシュタットを含む中核地区と近代以降に造られた多くの新興地区(たとえば、ブルンネンヴェグ、メッツェンドルフ地区、「グリーゼル」、メーアバッハ地区、ヘムスベルク地区など)

鉄道の西側の「ヴェストシュタット」: たとえば、「ポルト・アルトゥール」「マロッコ」、「リープヴェー地区」や「カッペスゲルテン」といった地区が含まれる。

ベンスハイム北部: ベルクシュトラーセ沿いにアウエルバッハ区がある。

オーデンヴァルトに面した地区: ホッホシュテッテン、シェーンベルク、ヴィルムスハウゼン、グローナウ、ツェルといった市区

ヘシシェ・リートに属す地区: ラングヴァーデン、フェールハイム、シュヴァンハイムといった市区

気候 ヴォルムス通りのアーモンドの木

ベンスハイムは、ベルクシュトラーセ沿いの他の街と同じく、大変に穏やかで、年間日照時間約2000時間と日差しに恵まれた気候であり、ドイツで最も早く春が訪れる地方である。オーデンヴァルトに護られたこの穏やかな気候によって、キウイアーモンドイチジクモモが生育する。ベルクシュトラーセは、時に「ドイツのリヴィエラ」とも称される。

ベンスハイム市は民家の庭先に、たとえばアーモンドの木などの、庭木を植えることを奨励している。毎年ベンスハイムでは花の女王のコンテストも行われている。これはオートモビール=クラブ・ベンスハイムが主催するもので、ベンスハイムの看板行事となっている。
歴史
入植の歴史

ヘッセン南部地域は早くから入植が行われた地域である。多くの出土品が線帯文土器縄目文土器を使っていた農耕・放牧時代(紀元前2500年から1500年頃)に遡る。
中世

ベンスハイムは、765年のロルシュ文書にBasinsheimとして文献上に初めて記録されている。創設者は、入植地創設の権利を与えられたリッター・バジヌス(Basinus)である。

名前は、BasinsheimからBasinusheim、Besensheimを経てBensheimとなった。特筆すべきは、956年3月5日という早い時期に、皇帝オットー1世によって市場開催権が与えられているということである。オットー1世がフランクフルト・アム・マイン滞在中に、妻アーデルハイトの取りなしによって、ロルシュ修道院に最初の市場開催権を与えたということが、このテキストから読み取れる。「publicae mercationes」という概念がこの街にもたらされ、公の商取引が行われた。定期的な年ごとの市場や、週の市はこの頃にはまだ開催されていなかった。

フリードリヒ2世は、凋落したロルシュ帝国修道院の所領をマインツ大司教ジークフリート3世・フォン・エップシュタインにレーエンとして与え、これに伴ってベンスハイムは1232年にマインツ選帝侯領となった。この時にはすでにデカーデン、後の都市権が与えられていたと推測されるが、それが文書として遺されたのは1320年になってからであった。 1301年アルブレヒト1世よる都市包囲線の結果、この都市の大部分が破壊された。
近世

現在のアウエルバッハ区とシェーンベルク区はベンスハイムに隣接する村で、カッツェネルンボーゲン伯とエアバッハ献酌侍従家の土地であった。1479年、カッツェネルンボーゲン伯家の断絶によりその封土は北側に隣接するヘッセン方伯領となった。


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