独立国家共同体の設立に関する協定
ロシア語: Беловежские соглашения
ウクライナ語: Б?ловезьк? угоди
ベラルーシ語: Белавежск?я пагадненн?
1991年12月8日、ベロヴェーシの森。
通称・略称ベロヴェーシ合意
起草ロシア代表団、ベラルーシ代表団、ウクライナ代表団
署名1991年12月8日
署名場所ベロヴェーシの森
発効
1991年12月12日[1]
ベラルーシ、ウクライナ―1991年12月10日
ロシア―1991年12月12日
カザフスタン―1991年12月23日
トルクメニスタン―1991年12月26日
ウズベキスタン―1992年1月4日
アルメニア―1992年2月18日
キルギス―1992年3月6日
タジキスタン―1993年6月26日
アゼルバイジャン―1993年9月24日
モルドバ―1994年4月8日
締約国原署名国
ロシア連邦共和国
ウクライナ共和国
ベラルーシ共和国
アルマ・アタ宣言調印後の署名国
カザフスタン
トルクメニスタン
ウズベキスタン
アルメニア
キルギス
タジキスタン
アゼルバイジャン
モルドバ
寄託者ベラルーシ政府
言語ロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語
主な内容ソビエト連邦の消滅、独立国家共同体の設立
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ベロヴェーシ合意(ベロヴェーシごうい、英語: Belovezha Accords、ロシア語: Беловежские соглашения)は、1991年12月8日、ロシアのボリス・エリツィン大統領、ウクライナのレオニード・クラフチューク大統領、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケービッチ最高会議議長が参加して、ベラルーシのベロヴェーシの森の旧フルシチョフ別荘で急遽行われた秘密会議、及び、その会議においてまとまった合意。特に、ソビエト連邦の消滅と独立国家共同体(CIS)の設立を宣言した「独立国家共同体の設立に関する協定」を指す。 1985年、ミハイル・ゴルバチョフが共産党書記長に就任すると、翌年から「ペレストロイカ」を打ち出し、政治や経済の改革を進めた。東欧の民主化を後押しし、冷戦を終結させたが、国内では経済が混乱し、国民は連邦政府への不満を募らせた。また、検閲の廃止や言論の自由(グラスノスチ)が進められたことにより、各地で民族主義と独立志向が強まり、広がっていった。 ナゴルノ・カラバフ等での民族紛争の勃発、バルト三国の独立回復宣言など、崩壊の様相を呈してきた連邦を維持するため、ゴルバチョフ書記長(1990年3月からは大統領を兼任)は、連邦構成共和国の権限を大幅に拡大する新連邦条約の成立を目指した。
経緯