ベル研究所
ベル研究所(ニュージャージー州マレーヒル)
同上
正式名称Nokia Bell Labs
日本語名称ベル研究所
略称ベル研、Bell Labs
所在地 アメリカ合衆国
ニュージャージー州マレーヒル
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度41分00秒 西経74度24分03秒 / 北緯40.68333度 西経74.40083度 / 40.68333; -74.40083
ベル研究所(ベルけんきゅうじょ、Bell Laboratories)は、アメリカ合衆国の通信研究所である。もともとベルシステムの研究開発部門として設立された研究所であり、現在はノキアの子会社である。「ベル電話研究所」、略して「ベル研(Bell Labs)」とも。 ベル研究所とは、ベル・システム社が1920年代に設立した研究所であり、その起源はグラハム・ベルが1880年にボルタ賞
概説
ベル研究所は、電話交換機から電話線のカバー、トランジスタまであらゆるものの開発を行ってきた。おおまかにいうと、研究、システム工学、開発の3つに分けることができた。
研究としては主に電気通信の基礎技術に関するものであったが、数学、物理学、人間行動科学、材料科学、コンピュータープログラミング理論などについて行っていた。この基礎研究に優れていることが、ベル研究所のひとつの大きな特徴であったが、2002年にヘンドリック・シェーンによる科学における不正行為事件が発覚。2008年に親会社によって「基礎研究から撤退する」という発表がなされる、という結果となった。
システム工学に関しては電気通信の分野で非常に複雑なシステムを作り上げている。開発としては通信網の構築に必要としたものよりも遥かに多くのものをハードウェア、ソフトウェアどちらの分野でも開発した。
起源と所在地の変遷「en:Volta Laboratory and Bureau」も参照
1925年に当時のAT&T社長ウォルター・グリフォードが独立事業としてベル研究所を設立した。もともとはウェスタン・エレクトリック社の研究部門とAT&Tの技術部門を引き継いだもので、AT&Tとウェスタン・エレクトリック社がそれぞれ50%ずつ出資した。最初の研究所長は Frank B. Jewett で、1940年まで所長を務めた。電話交換機など、AT&T向けにウェスタン・エレクトリックが製造する装置の設計とサポートを主な業務としていた。電話会社向けのサポート業務としては、包括的な技術マニュアル(手引書)のシリーズ en:Bell System Practices (BSP) の執筆と保守がある。親会社に対するコンサルタント業務も行った。また、プロジェクト・ナイキやアポロ計画などアメリカ政府の仕事も請け負った。基礎研究に携わる人員はごく一部だが、ノーベル賞受賞者を何人か輩出したこともあって、特に注目を浴びた。1940年代までベル研究所の本拠地はニューヨーク市内のビルを中心として点在していたが、そのほとんどはニューヨーク郊外のニュージャージー州に移転された。
ニュージャージー州内のベル研究所の所在地としては、マレーヒル(英語版)、ホルムデル(英語版)(en:Bell Labs Holmdel Complex)、クロフォードヒル(英語版)、Deal Test Site、フリーホールド、リンクロフト、ロングブランチ、ミドルタウン、プリンストン、ピスカタウェイ、レッドバンク、ホイッパニーがある。このうち、クロフォードヒルとホイッパニーの研究所は現存している。エーロ・サーリネンが設計したニュージャージー州ホルムデルの建物(en)は、現在は売却されて無人のまま放置されているが、複合商業施設に改装される予定。従業員が多いのはイリノイ州シカゴ近郊の Naperville や Lisle のあたりで、2001年までは最も集中していた(約1万1000人)。他に従業員が集中していた地域として、オハイオ州コロンバス、マサチューセッツ州ノースアンドーバー、ペンシルベニア州アレンタウン、ペンシルベニア州レディング、ペンシルベニア州ブレイングスビル、コロラド州ウェストミンスターなどがある。これらは2001年以降には規模が縮小されるか、完全に閉鎖された。 ベル研究所の絶頂期には、その施設は当時としては最先端であり、様々な革新的技術(電波望遠鏡、トランジスタ、レーザー、情報理論、UNIXオペレーティングシステム、C言語など)を開発していた。ベル研究所での研究により、これまでに7つのノーベル賞を獲得している[1]。 1924年、ウォルター・A・シューハートが製造工程の統計的管理手法として管理図を提案。シューハートは翌年設立されるベル研究所で引退するまで研究に従事した。シューハートの手法は統計的プロセス制御の基盤となった。これはシックス・シグマなどの現代的品質管理の先駆けである。 運営開始の初年には、よそで発明されたファクシミリの世界初の公開デモンストレーションを行った。1926年、世界初のトーキー(音声と映像の同期)システムを発明した[2]。 1927年、テレビの長距離送受信実験として、アメリカ合衆国商務長官ハーバート・フーヴァーの動画をワシントンからニューヨークに転送する実験を成功させた。1928年、ジョン・B・ジョンソンとハリー・ナイキストが初めて熱雑音を発見し、理論的分析を行った(このため「ジョンソン・ノイズ」とも呼ぶ)。 1920年代には、Gilbert Vernam と Joseph Mauborgne がベル研究所でワンタイムパッド式暗号を発明している。ベル研究所のクロード・シャノンが後にこの暗号が破れないことを証明した。 1931年、カール・ジャンスキーはベル研究所で長距離通信時における定常雑音を調査し、ノイズの原因となる電波が銀河系の中心から出ていることを突き止めた。これは電波望遠鏡に通じる発見で、のちに電波天文学の始まりとなったが、通信に関する問題ではないのであまり集中して行うことはなかった。1933年、ステレオ音声信号をフィラデルフィアからワシントンD.C.に生中継した。1937年、ホーマー・ダッドリー
発明と発見の歴史
1937年、クリントン・デイヴィソンは(レスター・ジャマーと共に)物質波の性質を確認したことでノーベル物理学賞を受賞。
1956年、ジョン・バーディーン、 ウィリアム・ショックレー、ウォルター・ブラッテンは、トランジスタの発明でノーベル物理学賞を受賞。
1977年、フィリップ・アンダーソンは、ガラスや磁性物質の電子構造の研究についてノーベル物理学賞を共同受賞。
1978年、アーノ・ペンジアスとロバート・W・ウィルソンは、宇宙マイクロ波背景放射を発見し、ノーベル物理学賞を受賞。
1997年、スティーブン・チューは、レーザー冷却により原子を捕獲する技術の開発でノーベル物理学賞を受賞。
1998年、ホルスト・シュテルマー、ロバート・ラフリン、ダニエル・ツイは、分数量子ホール効果の発見により、ノーベル物理学賞を受賞。
2009年、ウィラード・ボイルとジョージ・E・スミスは、チャールズ・K・カオと共にノーベル物理学賞を共同受賞。ボイルとスミスの受賞理由は、撮像半導体回路であるCCDイメージセンサの発明。
1920年代
1930年代カール・ジャンスキーが研究に使ったアンテナのレプリカ
1940年代1947年、ベル研究所で発明された点接触型ゲルマニウムトランジスタ。この画像はレプリカ
1940年代初め、Russell Ohl が光電セルを開発した。1943年、世界初のデジタル式音声暗号化システム SIGSALY を開発。これが第二次世界大戦中に味方同士の通信に利用された。また、真空管の6AK5はレーダーシステムに広く利用された。1947年、ジョン・バーディーン、 ウィリアム・ショックレー、ウォルター・ブラッテンがトランジスタを発明した(1956年、ノーベル物理学賞を受賞)。ベル研究所の最重要発明品と言われている。同年、リチャード・ハミングが誤り検出訂正のためのハミング符号を発明。特許が確定する1950年までその成果は公表されなかった。1948年、クロード・シャノンが情報理論の基礎を築いた "A Mathematical Theory of Communication" (通信の数学的理論)を Bell System Technical Journal に発表。ベル研究所の先達であるハリー・ナイキストやラルフ・ハートレーの業績を踏まえつつ、それらを大幅に発展させた。シャノンは1949年の論文 Communication Theory of Secrecy Systems で現代暗号論の基礎を築いた。
ベル研究所では、ジョージ・スティビッツらが1940年代にリレーを使った計算機をいくつも開発した。 1950年代は、本来の電話事業の技術的サポートにおける改良が主で、マイクロ波中継、オペレーターを介さない自動即時通話、中継局、電話通信用継電器 (wire spring relay)、新型交換機(5XB)などが登場した。1953年、モーリス・カルノーがカルノー図を開発。ブール代数式を扱いやすくするツールとして重宝された。1954年、世界初の実用的な太陽電池を開発した[3]。1956年に敷設された初の大西洋横断海底ケーブル TAT-1(スコットランド-ニューファンドランド島間)は、AT&T、ベル研究所、イギリスとカナダの電話会社が関与した。1957年、マックス・マシューズが電子音楽演算用コンピュータプログラムMUSICを開発した。MUSICシリーズは現在の多くのコンピュータミュージックプログラムの基礎となった。
モデルI - Complex Number Calculator。1940年1月完成。複素数の計算ができる。
モデルII - Relay Calculator または Relay Interpolator。1943年9月。高射砲の照準計算用。
モデルIII - Ballistic Computer。1944年6月。弾道計算用。
モデルIV - Bell Laboratories Relay Calculator。1945年3月。Ballistic Computer の後継機。
モデルV - Bell Laboratories General Purpose Relay Calculator。1946年7月と1947年2月に2台制作。リレー式の汎用プログラマブル計算機。
モデルVI - 1950年11月。モデルVの拡張版。
1950年代