ベルント・シュナイダー
基本情報
国籍 ドイツ
出身地同・ザンクト・イングベルト
ベルント・シュナイダー(Bernd Schneider, 1964年7月20日 - )は、ドイツのレーシングドライバー。主にドイツツーリングカー選手権(DTM)で活躍、現在はニュルブルクリンク24時間レースを中心に活動。 1976年にカートデビュー。1984年にドイツフォーミュラ・フォード選手権に参戦して本格的に4輪レース参戦を開始する。1986年にドイツF3にステップアップし、翌1987年にドイツF3のシリーズチャンピオンを獲得しスーパーライセンス取得権利を得る。 1988年、ザクスピードよりF1デビューを果たす。しかしザクスピードのマシンは戦闘力が不足しており、シュナイダーは10回の予選落ちを喫した。1989年もザクスピードに残留したが、F1新規参入のヤマハ製エンジンを搭載するマシンで苦戦し、14回の予備予選不通過を記録し、決勝に進出した2レースともにリタイヤした。同年のチームメイト鈴木亜久里も苦戦し、全レースで予備予選不通過というチーム状況だった。シュナイダーにはイタリアのオゼッラから熱心な移籍勧誘があったが、それを断り翌90年もザクスピード・ヤマハでの継続参戦を決めてシーズンオフテストに参加していたが、メインスポンサーを失ったザクスピードがF1活動休止を発表したためフリーの身となった。その後ブラバムが離脱してしまったマーティン・ブランドルの後任としてシュナイダーにオファーしBT58をテストする話が浮上したが、シュナイダー曰く「ブラバムのシート獲得には200万ドル(3億円)のスポンサーを持ち込んでほしいと言われたけど、そんな金額は僕には用意できなかった。」という交渉内容であり、破談となった[1]。 この経緯を経て1990年はフットワーク・アロウズとテスト契約。アレックス・カフィの欠場代役として2戦に出走し、同年の第14戦スペインGPを最後にF1から離れた。 シュナイダーは1992年よりDTM(第1期)に参戦を開始。この時からメルセデス・ベンツとの関係が生まれ、以後一貫してメルセデスのワークスドライバーとして活躍。1995年にはDTM及び、同年から始まった国際ツーリングカー選手権(ITC)のシリーズチャンピオンを獲得した。しかしDTM、ITCが1996年限りで消滅してしまった(DTMは1995年終了)ため、1997年から1999年にかけてはFIA GT選手権やル・マン24時間レースなどへ参戦した。 2000年にDTM(第2期)が復活すると再びDTMに参戦し、2000年・2001年・2003年にシリーズチャンピオンを獲得。2004年と2005年はチャンピオンの座から遠ざかっていたが、2006年、第1戦のホッケンハイムでDTM通算40勝を獲得。第2戦も勝利し、そのまま逃げ切り3年振りのシリーズチャンピオンを獲得した。 過去5回のシリーズチャンピオン経験などから「DTMの顔」とも言える存在であり、CSのDTM中継の実況陣には「ミスターDTM」と呼ばれるほどであったが、2008年10月にDTMからの引退を発表。DTM引退後はメルセデス・ベンツ及びAMGの大使・インストラクターとして広報活動に協力するほか、DTMマシンのテストドライバーも引き続き務める。 一方でニュルブルクリンク24時間レースにはDTM引退後も毎年参戦を続けており、2013年にメルセデス・ベンツ・SLS AMG GT3を、2016年にはメルセデスAMG GT3 をそれぞれドライブし総合優勝を果たしている。 年チームシャーシエンジンクラス1234567891011順位ポイント 年チームシャーシー/エンジン予選ヒート1ヒート2総合順位 年チームシャシーエンジン12345678910111213141516WDCポイント
経歴
レース戦績
フォーミュラ
ドイツ・フォーミュラ3選手権
1986年
RetWUN
9HOC
4NOR
3ERD
3OST
5NUR
3ZOL
1NUR
4SAL
5NUR
Ret4位94
1987年
1AVU
13ZOL
1HOC
1OST
1SIE
1NUR
1NUR
1ZOL
1位140
太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
マカオグランプリF3
1987年 Schubel Motorsportダラーラ・F387 フォルクスワーゲン16位台風の影響により1ヒート制3位
F1世界選手権
1988年ザクスピード881ザクスピード・1500/4 1.5L S4 tcBRA
DNQSMR
DNQMON
DNQMEX
RetCAN
DNQDET
DNQFRA
RetGBR
DNQGER
12HUN
DNQBEL
13ITA
RetPOR
DNQESP
DNQJPN