ベルリン芸術大学Universitat der Kunste Berlin
種別公立
設立年1696年/1869年/1875年
1966年/1975年
資金7,000万ユーロ[1]
学長
ベルリン芸術大学(ドイツ語: Universitat der Kunste Berlin, UdK)は、ドイツのベルリンにある公立の芸術大学である。芸術大学としてはヨーロッパで最も大きな規模をもつとされる。ベルリン市内に4校ある大学の中では規模が最も小さい。2001年11月まではホッホシューレ(Hochschule)だった。
1696年にフリードリヒ3世が設立した「絵画・彫刻・建築のエレクトラル・アカデミー」を起源とし、この種の学校としては世界で最も伝統のある学校の一つである。この150年の間に、音楽、建築、美術、デザインなどのさまざまな教育機関が徐々に合併して誕生した。
現在のUdKは多様性と伝統の両面で際立つカリキュラムをもつ。4つの学部(ファインアート学部、建築・メディア・デザイン学部、音楽学部、舞台芸術学部)があり、ドイツに3校ある総合芸術大学の1つである(他2校はブレーメン芸術大学とフォルクヴァング芸術大学)。現在約3,600人の学生が在学している。4つの学部の教育プログラムでは40以上のコースが提供されている。博士号とそれに準ずる学位を授与する権限をもっているが、これはドイツの芸術・美術大学としては珍しい。ただし留学生の博士論文はドイツ語ではなく英語による執筆が許容されるなど、通常の学術博士と同等ではなく学位取得の条件は軽微である。
著名な教員や学生が在籍しており、教育理念も恒常的に発展を遂げていることから、芸術と芸術理論の優れた教育機関として広く認められている。
年に1度、UdK Rundgangの催しを通じて大学を一般向けに公開している。この催しはベルリンで重要なアートフェアの機能を果たしており、若いアーティストたちに脚光を当てる機会を提供している。ベルリン芸術大学の校舎 UdKの起源は、絵画・視覚芸術・建築アカデミー(Academie der Mal-, Bild- und Baukunst)の創立まで遡ることができる。これは、後にプロイセン芸術アカデミー(Preusische Akademie der Kunste)となる学校で、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世(プロイセン王フリードリヒ1世)により作られた。直接の前身校となったのは次の2校である。一つは、王立音楽演劇アカデミー(Koniglich Akademischen Hochschule fur ausubende Tonkunst)で、ヨーゼフ・ヨアヒムによって1869年に創立された。この学校は、シュテルン音楽院の伝統を引き継いでいた。またもう一校は、1875年創立の国立ベルリン美術学校である。 1975年に両学校は合併し、ベルリン芸術学校(Hochschule der Kunste Berlin, HdK)と名付けられた。2001年11月に大学の地位を得た。 シャルロッテンブルク・ヴィルマースドルフ地区を中心に、約15カ所にキャンパスが分散している。大学の本館は、Zoologischer Garten駅に近いHardenbergstrase 33に位置している。 UdKへの交換留学プログラムの機会は、秋学期、冬学期に提供されており、芸術と、4学期開かれるドイツ語授業に関心のある学生を対象にしている。各学期に、UdKは100人の交換留学生を受け入れるが、これは大学間で結ばれる協定に基づいて行われる。交換留学に参加する学生は、住まいを自分で手配することが求められており、大学からのサポートはほとんどないに等しい。
沿革
キャンパス所在地
シャルロッテンブルグの本館
シャルロッテンブルグのコンサートホール
旧美術工芸師範学校の建物
シェーネベルグのGrunewaldstraseに所在するメディアハウス
Einsteinuferに所在する大学事務局センター
交換留学
著名な卒業生
クラウディオ・アラウ, ピアニスト
クルト・ヴァイル, 作曲家
ギュンター・グラス, 彫刻家、1999年ノーベル文学賞受賞者
オットー・クレンペラー, 指揮者
レオポルド・ゴドフスキー, ピアニスト
長野羊奈子, 声楽家
エドゥアルト・フランク
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