ベルリンの奇跡
[Wikipedia|▼Menu]

1936年ベルリンオリンピック
男子サッカー1回戦

日本スウェーデン

32

開催日1936年8月4日
会場ヘルタ・プラッツ・スタジアム(ドイツ語版)(ベルリン)
観客数5,000

ベルリンの奇跡(ベルリンのきせき)は、1936年ベルリンオリンピックサッカー競技において、日本代表スウェーデン代表に勝利した試合を指す日本国内での表現である。
試合経過

1936年8月4日ベルリンのヘルタ・プラッツ・スタジアム(ゲズントブルンネン・スタディオン)(ドイツ語版)において、サッカー競技の1回戦として日本対スウェーデンの試合が開催された。

当時のスウェーデンはドイツイタリアと並ぶ優勝候補のひとつであった。これに対して、日本はオリンピックのサッカー競技には初参加であり、体格の面でも明らかに劣っていた。このため、下馬評ではスウェーデンが圧倒的有利とされ、日本からの報道陣さえ全くこの試合を取材していなかった[1]。観客も「万雷のような拍手が巻き起こり、たくましいスウェーデン選手を迎えた」のに対し、日本代表には「ほとんど注目されなかった」状態であった[2]

試合は前半にスウェーデンがエリク・ペーションによる2ゴールで優勢に試合を進めた。さらに体格を活かした「まるで女郎グモのアミのよう」な密着マークによる守備でショートパス戦法を封じ込まれ、日本は為す術もなくそのまま0-2で前半を終えた。

後半に入るとスウェーデンが油断したこともあってか、ショートパスを中心とする日本の戦術が機能しはじめた。後半4分に「シュートの名人」と呼ばれたセンターフォワード川本泰三がゴールし反撃の口火を切ると、後半17分に右インサイドでゲームメイクを担ったオールラウンダー・右近徳太郎がゴールを挙げ、同点に追いついた。誰も予想だにしなかった展開が、観客の応援を日本寄りに傾かせた。後半40分に俊足右ウイング松永行が左サイドから一人で攻め、GKの股を抜いたゴールによってついに逆転した。終盤スウェーデンの猛攻を耐えしのぎ、3対2のスコアで試合終了となった。同点に追いついてからの一進一退の攻防のなか、「いまにも体がバラバラになりそうだ。もう駄目だ、ぶっ倒れる」と思うほど、日本選手達は体力の限界に近付いていたという。そのような状態での逆転劇だった[1]

スウェーデンのラジオ放送の実況アナウンサーのスヴェン・イェリング(スウェーデン語版)が「Japaner, Japaner, Japaner(日本人、日本人、また日本人)」と連呼したこの試合は、スウェーデンのスポーツ分野においても歴史的出来事のひとつとして記憶されている。試合終了後、6000人の観客の多くがピッチになだれ込み、日本の勝利を祝福した。なお、ドイツを始めヨーロッパ各地の新聞は「不可能なことが起きた」「こんなことをだれが想像できただろうか」「美しく正々堂々とした戦いだった。日本の戦いぶりが歓喜を呼んだのだ」と報じた[1]
日本代表


出場選手


ゴールキーパー(GK)

佐野理平早稲田大学[3]


フルバック(FB)

堀江忠男早稲田WMW[3]

種田孝一(登録上はHB、東京帝国大学[3]

竹内悌三東京帝大LB[3]


ハーフバック(HB)[3]

立原元夫(早稲田WMW)[3]

金容植(全京城蹴球団(英語版))[3]


フォワード(FW)

松永行東京文理科大学[3]

右近徳太郎慶應義塾大学[3]

川本泰三(早稲田大学)[3]

加茂健(早稲田大学)[3]

加茂正五(早稲田大学)[3]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:69 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef