ベルマーク
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ベルマーク(見本)

ベルマーク運動(ベルマークうんどう)は、学校教育施設公民館などをはじめとする生涯学習施設の教育環境整備への助成と、交通などの面でハンデキャップのある山間・離島(いわゆるへき地)の学校特別支援学校院内学級や被災校、開発途上国の教育に対する援助を組み合わせて行われる運動である。朝日新聞社創立80周年記念事業として1960年(昭和35年)に始まった。ベルの形は「国内外のお友達に“愛の鐘”を鳴り響かせよう!」との意味合いがある。
概要

商品の包装紙やパッケージにつけられた「ベルマーク」を切取り、学校・団体ごとに集めて財団に送ることにより、1点あたり1円がそれぞれの団体のベルマーク預金になり、貯まった預金で自分の学校・団体の設備品などを購入できる。貯まったポイントで商品と交換すると勘違いされることがあるが、あくまでも預金で購入するシステムである。さらに、この設備購入代金の1割がPTAからの寄付金となり、僻地にある学校などの援助に役立てられる。

マークは協賛会社と呼ばれる企業の製品パッケージなどに印刷してあるが、使用済みインクカートリッジの回収やグリーンスタンプのように商品にマークがついているのではなく、「ベルマーク点数」と交換する仕組みのものもある。これらの商品には食品文房具、日用品といった家庭品が多く、2000年以後は保険会社やエプソンキヤノンブラザー販売が使用済みインクカートリッジ回収で協賛している。2011年には、紙容器のリサイクル回収で日本テトラパックが参加した。2019年には小学生がベルマークの型抜き装置を考案し特許を取得した[1]

ベルマーク運動への参加登録は、幼稚園、学校や公民館などに限られ、個人や企業での参加登録はできない。学校・団体ごとにマークを集めてベルマーク教育助成財団に送付すると、1点1円換算で預金化され、それぞれの口座に貯まる。貯まった預金を利用して協力会社(≠協賛会社)から自分の学校などの設備や教材を購入することができる。協力会社は楽器自転車のメーカー・事務機器メーカー・書籍取次店スポーツ用品メーカーなどで、参加学校・団体には年に2回、各社の主な取扱商品を掲載した「お買いものガイド」が送られる。以前は、消耗品が購入できないという規則があったが、今は協力会社が扱っている商品であれば何でも購入できる。

購入代金の10%が、協力会社からPTAなどに戻され、ベルマーク財団に寄付されるのもベルマーク運動の特徴である。これが「援助資金」としてプールされ、僻地学校や特別支援学校など、援助を必要としている子どもたちのために使われている。

1990年代後半から、バブル崩壊に加え、教育施設の設備の充実や少子化が進んだことから、協賛会社の撤退が相次ぎ、運動は弱体化したが、2007年から再びマークの年間集票点数は増える傾向にある。2006年には大学短期大学などこれまでPTAがなかったため参加できなかった学校や、公民館や生涯学習センターなどの社会教育施設にも参加資格が拡大された。また点数収集についても、リサイクル教育を兼ねた方法として、エプソン、キヤノン、ブラザーのプリンターの使用済み純正インクカートリッジ(1個あたり5点)、トナーカートリッジ(1個あたり50点)と交換したり、テトラパック製の乾かした紙パック[注釈 1]と交換でベルマーク点数証明書を付与したりしており、web店舗での商品購入などネット販売でマークを提供するスマイルピース(イーイーアイ。2014年終了[2])が協賛し、広がりをみせている。一方、援助の面では1998年からベルマーク預金を直接援助資金に寄付することができる友愛援助の制度ができ、日本国外や災害も対象になっている。東日本大震災では「緊急友愛援助」の寄付呼びかけが行われている。

2013年9月17日、一般社団法人ウェブベルマーク協会が設立され、ネットショッピングのアフィリエイトで支援金を生み出す方法が新たに導入された[3]。支援先の学校を選ぶことで、被災地以外の学校への支援(自分の子どもが在籍する学校など)も可能である[4]
集計方法

最低限必要な作業は以下の2点のみである。その他の作業は各学校が独自で行っている作業であり、例えば「切り方に決まりはなく形通りに切る必要もつながっているマークを切り離す必要もない」「セロハンテープで台紙等に一枚一枚きれいに貼り付ける作業は不要」[5]である。
商品のパッケージに付いている「ベルマーク」をハサミで切り取る。

会社別に点数が書かれた指定袋に入れ必要事項(枚数・点数など)を記入する。

ウェブベルマークの場合、利用者が貯めたポイントは毎月、指定した学校のベルマーク預金口座に自動加算される[4]
沿革

1957年昭和32年) - 福島県の山村での赴任経験[注釈 2][6]を持つ小学校教諭の渡辺ユキが、都市部と同等の義務教育を求めて、朝日新聞社に「へき地の子供たちの教育設備を充実してほしい」と支援を依頼[7]

1959年(昭和34年)

2月12日 - 教育設備拡充協力会(後に教育設備助成会と改称)設立の第一回準備会。

4月16日 - 第二回準備会。


1960年(昭和35年)10月24日 - 教育設備助成会が設立される。

1965年(昭和40年)2月10日 - 「教育設備助成会ニュース」創刊。

1970年(昭和45年)

3月15日 - 助成会ニュースは「月刊ベルマーク」創刊のため65号で廃刊。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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