ベルベル人
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「ベルベル」はこの項目へ転送されています。スーダンの町については「ベルベル (スーダン)」をご覧ください。

ベルベル族

マシニッサアプレイウスアウグスティヌス
ターリク・イブン・ズィヤードアブド・アルカーディルイブラヒム・アフェレイ
イディール(英語版)アブド・エル・クリムジネディーヌ・ジダン
ムーサ・アグ・アマスタン(英語版)オマル・ムフタール

総人口
不明
居住地域
言語
ベルベル諸語アラビア語フランス語スペイン語(スペインとモロッコ)
宗教
イスラームが支配的。ベルベル人の旗伝統舞踊を披露するモロッコのベルベル人ベルベル人の男性ベルベル人の少年

ベルベル人(ベルベルじん)は、北アフリカマグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族ベルベル諸語母語とする人々の総称。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族である。形質的には、元来はコーカソイドだったと考えられるが、トゥアレグ族など混血により一部ネグロイド化した部族も見られる。宗教イスラム教を信じる。

ベルベル人という名称はローマ人による蔑称である[1]。ベルベルの呼称は、ギリシャ語で「わけのわからない言葉を話す者」を意味するバルバロイに由来し[2]ヨーロッパの諸言語で Berber と表記されることによる。

自称はアマーズィーグ(転写: ??????)である。アマジグ人、アマジク人という呼称もこれ由来である。イマジゲンと呼ばれることも多い。
居住地域

ベルベル人はカビール、シャウィーア(英語版)、ムザブ人(英語版)、トゥアレグの4部族をはじめ、リーフ人、シェヌアス(英語版)、シルハ(英語版)、ザイエン(フランス語版、英語版)、Igawawen、グアンチェイバード派、シウィ人(英語版)などの諸部族に分かれる。東はエジプト西部の砂漠地帯から西はモロッコ全域、南はニジェール川方面までサハラ砂漠以北の広い地域にわたって分布しており、その総人口は1000万人から1500万人ほどである。モロッコでは国の人口の半数、アルジェリアで同5分の1、その他、リビアチュニジアモーリタニアニジェールマリなどでそれぞれ人口の数%を占める。北アフリカのアラブ部族の中にはベルベル部族がアラブ化したと考えられているものも多い。ヨーロッパのベルベル人移民人口は300万人と言われ、主にフランスオランダベルギードイツなどに居住している他、北米ではカナダケベック州にも居住している。
歴史
先史時代「ポエニ人(英語版)」および「ポエニ語」も参照

ベルベル人の先祖はタドラルト・アカクス(1万2000年前)やタッシリ・ナジェールに代表されるカプサ文化(1万年前 - 4000年前)と呼ばれる石器文化を築いた人々と考えられており、チュニジア周辺から北アフリカ全域に広がったとみられている。

ベルベル人の歴史は侵略者との戦いと敗北の連続に彩られている。紀元前10世紀頃、フェニキアから北アフリカの沿岸に至って勢力範囲が広がったフェニキア人 [注釈 1]カルタゴなどの交易都市を建設すると、ヌミディアヌミディア人マウレタニアのマウリ人(英語版)などのベルベル系先住民族は彼らとの隊商交易に従事し、傭兵としても用いられた。また、古代エジプト王朝とは緊密な関係にあり、傭兵となって王国軍の主力になり活躍することもあれば、王権の弱体化によって王位を簒奪することもあったし、ナイルデルタ地域へ略奪に来ることもあった。古代ギリシアではキレナイカ以東のベルベル人のことをリビュア人と称していた。西のマウリやヌミディアのマッサエシュリ部族とマッシュリー部族は部族連合を組んで集権的な国家を整えていくが、東のガラマンテス族達は小部族が合従連衡する状態から抜け出せないまま現代に至り、リビア内戦の遠因となった。
ローマ帝国

古代カルタゴ(英語版)(前650年 - 前146年)の末期、前219年第二次ポエニ戦争でカルタゴが衰えた後、その西のヌミディア前202年 - 前46年)でも紀元前112年から共和政ローマの侵攻を受けユグルタ戦争となった。長い抵抗の末にローマ帝国に屈服し、その属州となった。ラテン語公用語として高い権威を持つようになり、ベルベル人の知識人や指導者もラテン語を解するようになった。ローマ帝国がキリスト教化された後には、ベルベル人のキリスト教化が進んだ。
ヴァンダル王国

ローマ帝国の衰退の後、フン族の侵入に押される形でゲルマニアに出自するヴァンダル人が北ヨーロッパからガリアヒスパニアを越えて侵入し、ベルベル人を征服してヴァンダル王国を樹立した。この王国の公用語はゲルマン語とラテン語であり、ベルベル語はやはり下位言語であった。

ローマ帝国時代からヴァンダル王国の時代にかけて、一部のベルベル人は言語的にロマンス化し、民衆ラテン語の方言(マグレブ・ロマンス語)を話すようになった。
東ローマ帝国

ヴァンダル王国は6世紀に入ると、ベルベル人の反乱や東ゴート王国との戦争により衰退し、最終的に東ローマ帝国によって征服された。当時の東ローマ帝国はすでにギリシャ化が進んでいたため、ラテン語に代わりギリシャ語が公用語として通用した。ベルベル語はやはり下位言語とされ、書かれることも少なかった。
イスラーム帝国

7世紀に入ると、東ローマ帝国の国力の衰退を好機として、アラビア半島からアラブ人イスラム教徒ウマイヤ朝)が北アフリカのエジプトに侵攻・征服し、その勢いを駆ってベルベル人の住む領域まで攻め込んだ(マグリブ征服(英語版))。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:39 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef