ベルナール・マリスシャルリー・エブド追悼の画より
人物情報
生誕1946年9月23日
トゥールーズ
死没 (2015-01-07) 2015年1月7日(68歳没)
パリ
国籍 フランス
出身校トゥールーズ政治学院
トゥールーズ第1大学
学問
研究分野経済学(ケインズ経済学)
学位博士号
脚注・経済ジャーナリスト、作家としても活躍
・『シャルリー・エブド』株主および経済コラムニスト
・レジオンドヌール勲章
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ベルナール・マリス (Bernard Maris, 1946年9月23日 - 2015年1月7日) はフランスの経済学者、作家、ジャーナリストである。オンクル・ベルナール(ベルナール小父さん; Oncle Bernard)というペンネームで『シャルリー・エブド』に経済コラムを連載。市場主義経済を真っ向から批判した。2015年1月7日、シャルリー・エブド襲撃事件でイスラム過激派に殺害された。 ベルナール・マリスの父親はナチス・ドイツの占領に抵抗するレジスタンス運動に参加し、主に新聞を発行していた。このため、彼は若い頃から「父親のレジスタンス運動の哲学に鍛えられた」という[1]。 ピエール・ド・フェルマー高校およびトゥールーズ政治学院を卒業した後[2]、1975年にトゥールーズ第1大学で経済学の博士号を取得。博士論文の題目は「個人への利益配分:均衡のとれた経済成長を目指す理論的アプローチ」であった[1]。[3] 1980年に米国アイオワ大学ビジネスカレッジから招聘を受けて1年間、ミクロ経済学を教えた。トゥールーズ第1大学に助教として採用され、1984年に准教授に昇任。1986年から1988年までの間に2度、ペルー中央銀行でミクロ経済学教員を務めた。一級教員資格を取得し、1994年にトゥールーズ政治学院の教授、1998年にはパリ第8大学の欧州研究所の教授に就任した。 1995年、経済誌『ヌーヴェル・エコノミスト』の「今年最高のエコノミスト」賞を受賞した[4]。 2011年、フランス銀行理事会の会員に任命された[1]。 経済学者として大学で教える傍ら、経済ジャーナリストとして通俗科学的な『経済アンチマニュアル (Antimanuel d'Economie)』、『エコノミスト・ウエルベック (Houellebecq economiste)』などを著し、『マリアンヌ』、『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール ベルナール・マリスはトービン税の実現を目指すATTAC(アタック)の創設に貢献し、同団体の学術協議会の副会長を務めた。このことから、彼はしばしばアルテルモンディアリストとされる[5]。 2002年フランス議会総選挙で緑の党の党員として立候補した[7]。 ベルナール・マリスはフリーメイソン「グラントリアン・ド・フランス(Grand Orient de France; フランス大東社)」会員で、ロッジのなかでも特に政治的な「ロジェ・ルレ (Roger Leray)」に所属していた。 2015年1月7日、シャルリー・エブド襲撃事件でイスラム過激派に殺害された。1月15日、モンジスカール(オート=ガロンヌ県)のロックヴィル・ノートダム礼拝堂で葬儀が執り行われ、同地に埋葬された。 ベルナール・マリスはケインズ経済学の熱心な支持者で、『市井の経済学者ケインズ (Keynes ou l’economiste citoyen)』を著すほか、『ああ、神よ、経済戦争はあまりにも素敵だ!(Ah Dieu ! Que la guerre economique est jolie !)』、『われわれがバカだと思う経済学の精神的指導者への公開状 (Lettre ouverte aux gourous de l'economie qui nous prennent pour des imbeciles)』、『証券取引所か、人生か (La Bourse ou la vie)』など、経済学に関する通俗科学的な著書も多い。
経歴
学歴
大学教員
ジャーナリズム
政治経済活動
ケインズ経済学
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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