フランスの政治家ベルナール・クシュネルBernard Kouchner
ベルナール・クシュネル(2010年4月)
生年月日 (1939-11-01) 1939年11月1日(84歳)
出生地 フランス共和国、アヴィニョン
前職医師
所属政党フランス共産党( - 1966年)
社会党(1966年 - 2007年)
無所属(2007年 - )
称号大英帝国勲章
配偶者エヴリン・ピジェ
クリスティーヌ・オクラン
ベルナール・ジャン・クシュネル(フランス語: Bernard Jean Kouchner、1939年11月1日 - )は、フランスの政治家、医者、外交官。国境なき医師団(1971年)と、世界の医療団(1980年)というNGOの設立者の一人で、元国連高等職員。2007年5月18日よりフランソワ・フィヨン内閣でフランスの外務・ヨーロッパ関係大臣を務めた。 南東部アヴィニョン生まれ。ユダヤ人の父とプロテスタントの母を持つ。父方の祖父は1908年にラトビアからフランスへ移住した。社会活動家として1960年代初めにフランス共産党に入党、のち社会党、左派急進党
経歴
政治的背景を持った人道活動家
1968年5月の第5共和国革命時にはパリ大学医学部のストライキ委員会の幹部であった。その後、フランス医療救援団と共にビアフラで活動し、この団体が1971年、『国境なき医師団(Medecins sans frontieres)』と変革するのにあたって貢献をした。エマニュエル・ダスティエと共に『Evenement』誌の発刊に参加した後、1970年代を通して『Actuel』誌に定期的に協力する。1979年に、国境なき医師団の指導者グループ内でクロード・マルレと対立して国境なき医師団を離脱、『世界の医療団(Medecins du monde)』を創設した。徐々に現場レポーターのような活動をするようになり、次第にメディア、特にテレビのニュース番組への登場が増えて批判されるようになり、特に1992年12月のソマリアでの人道活動については厳しく批判された。
1987年に「介入の権利(フランス語版)」Le droit d'ingerenceの執筆で知られる法学者のマリオ・ベタッティ(フランス語版)との共著「介入義務」Le devoir d'ingerenceで国際機関の人道的介入を主張し、1988年には国家書記官としてフランス政府に入閣、1992年から1993年にかけて保健・人道活動大臣を務めた。 1993年に、『人道活動のための財団(Fondation pour l’action humanitaire)』を設立する。1994年には社会党員でありながら、ミシェル・ロカールの党派として欧州議会議員に選出され、1995年にベルナール・タピの後を追うように左派急進党に入党、同党の報道官となった。彼はアラン・ジュペの社会保障改革に、左派陣営が一斉に反対を表明する中で個人的見解として賛意を表明している。また『Reunir協会』を率いて、ミシェル・ロカールと同時にリオネル・ジョスパンとも近い関係にある。
国内政治・国際舞台での重要人物として