ベルナルド・セプルベダ・アモール
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ベルナルド・セプルベダ・アモールBernardo Sepulveda Amor

生年月日 (1941-12-14) 1941年12月14日(82歳)[1]
出生地 メキシコメキシコシティ[2]
出身校メキシコ国立自治大学[1]
前職国連国際法委員会委員[1][3]
現職国際司法裁判所副所長・判事[4]
第21代 国際司法裁判所副所長[4]
在任期間2012年2月6日[1][5] - 2015年2月6日
国際司法裁判所判事[4]
在任期間2006年2月6日[1] - 2015年2月6日
メキシコ外務大臣(英語版)
在任期間1982年12月1日 - 1988年11月30日
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ベルナルド・セプルベダ・アモール(スペイン語: Bernardo Sepulveda Amor, 1941年12月14日 - )は、メキシコシティ出身の法学者政治家外交官である。2012年から2015年まで国際司法裁判所の副所長を務めた[4][6]。セプルベダ以下が姓である。
経歴

1941年12月14日にメキシコシティで生まれる。メキシコ国立自治大学法学を学び(1964年法学士)、その後イギリスケンブリッジ大学へと進み国際法を専門とした(1966年法学修士[1][2]

エル・コレヒオ・デ・メヒコ(英語版)にて国際法国際組織教授を務め、メキシコ国立自治大学、経済教育研究センター(英語版)、メキシコ自治工科大学(英語版)、マティアス・ロメロ研究所(スペイン語版)などで講師を務めた[1]

大使として1982年にアメリカ合衆国、1989年から1993年までイギリスに赴任した[1]。またこれと同時に1982年から1988年までミゲル・デ・ラ・マドリ・ウルタード政権のもとメキシコ外務大臣(英語版)を務めた[1]。外務大臣として中米地域で平和活動を行う国際的な枠組みであるコンタドーラ・グループ(英語版)の設立に貢献し、また後にラ米・カリブ首脳会議の前身となるGrupo de Ochoの創設に尽力した[1]

1984年にフアン・カルロス1世よりアストゥリアス皇太子賞を、1985年にユネスコより国際シモン・ボリバル賞(英語版)を授与された[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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