ベルクホーフ
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ベルクホーフ
Berghof
ベルクホーフ遠景。検問所より
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旧名称ハウス・ヴァッヘンフェルト(Haus Wachenfeld、見晴らし亭)
概要
現状解体
用途別荘総統大本営
所在地オーバーザルツベルク
自治体ベルヒテスガーデン
ドイツ
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度38分01秒 東経13度02分31秒 / 北緯47.63361度 東経13.04194度 / 47.63361; 13.04194
標高921 m (3,022 ft)
着工1916年(ハウス・ヴァッヘンフェルトとして)
改築1935年?1936年
解体1945年4月25日(イギリス空軍の空爆で)
1952年4月30日(バイエルン州政府による爆破解体)
所有者アドルフ・ヒトラー
アンゲラ・ヒトラー→エーファ・ブラウン(陰の女主人)
設計・建設
建設者Hochtief AG
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ベルクホーフ(: Berghof)は、ドイツ南東部バイエルン州ベルヒテスガーデンの近郊オーバーザルツベルクにあったナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラー山荘
沿革

第二次世界大戦中に、ヒトラーがヴォルフスシャンツェの次に多くの時間を過ごした場所である。ヨーロッパ全土に位置していた総統大本営の一つとしても知られている。1935年に再建、拡張、名称変更が行われ、その後10年足らずの間、ベルクホーフ自体は機能的な総統の住居であった。

1945年4月下旬、英国空軍の空襲を受けて大破損傷した。5月上旬には、撤退する武装親衛隊に火を放たれ炎上。さらにここに到着した連合軍によって略奪が行われたあとは長らく廃墟となっていたが、一帯の土地が米軍からバイエルン州に返還されたのち、ネオナチの聖地化することを恐れて州政府により1952年4月30日(ヒトラー自決の日)に爆破解体された。

その後、1995年から2000年代初頭にかけて残っていた残骸の大半が撤去されるか埋め立てられた。現在、跡地のほとんどには植林された木が生い茂っており、残るベルクホーフの痕跡はわずかな石組みなどの瓦礫のみである[1]。現地にはベルクホーフについて紹介したプレートが立てられている。
入手経緯ベルクホーフの大広間ベルクホーフのテラスにて、エーファ・ブラウンとヒトラー。(1942年6月14日撮影)現在のベルクホーフ跡地。木に覆われている(2011年撮影)

南バイエルンの避暑地として知られたベルヒテスガーデンには『ハウス・ヴァッヘンフェルト』(Haus Wachenfeld、見晴らし亭)という別荘があった。

1928年の夏、ここに避暑のため訪れたヒトラーはこの家が気に入り、所有者であるナチス党員の実業家夫人と、月々100ライヒスマルクという破格の家賃で賃貸契約を結んだ。ヒトラーは姉のアンゲラ・ヒトラー、その娘のゲリ・ラウバル、フリードル・ラウバルをここに住まわせ、管理に当たらせた。ヒトラーはしばしばこの家を訪れ、党の幹部会議も開催した。

1929年5月29日、ヒトラーはヴァッヘンフェルトを4万ライヒスマルクで買い取った。買い取り費用は、自身の政治的著書『我が闘争』の印税から賄われた。
構造と維持

小さなシャレー様式の建物は建築家アロイス・デガノ(de:Alois Degano)の手によって、1933年にサンルームと小さなガレージが増加築され、このときから山荘は2棟の建物を持つようになる。1936年には母屋を横に大きく広く、ガレージも長く大きく余裕を持たせた改築がされ、この時から山荘は「ベルクホーフ」(山の宮殿、山上御殿)と呼ばれるようになった。

ベルクホーフには大きなテラスが造られ、大きく色とりどりのリゾート風のキャンバスのようなアンブレラが特徴的であった。


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